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土屋 崇 /Takashi Tsuchiya

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

インストラクター

土屋 崇

一瞬で良いからあの時間に戻ってみたい。

燃え尽きたのは米国カンザスシティの芝生の上。1989年のDCI チャンピオンシップファイナルでのことでした。演奏が終わりピカピカと光るフラッシュ、ポップコーンが弾けたような、スタンディングオべーション、ここはハワイの海岸か?と思ったウエーブ。私は、人生に於いてあれだけの感動、涙、興奮、満足をいっぺんに味わった事は未だに無い。一時で良いから、一瞬で良いからあの時間に戻ってみたい。嗚呼ドラえもん、タイムマシーンを出して(笑)と本気で思う。それほど強烈な経験をするまでの道程はこんな順番でした。

人生何がきっかけになるかわからない。人との出会いは大切にするものだ。

埼玉の小学校を卒業した後、父の転勤で茨城県つくば市に引越しをしました。小さな頃からピアノを習ってはいたものの、先生が嫌いだったので自分から音楽なんてやることはないと思っていました。中学校では卓球部に入ろうかと考えていたところ、友人の「吹奏楽部に見学に行くと先生がラーメンおごってくれるって!行こうよ。」との誘いに「うん!行く。」と即答。ラーメンに釣られ見学に行ったのが、当時の顧問で後に一生の恩師となる古山久文先生との出会いでした。おいしいラーメンをご馳走してくださったやさしい古山先生の「吹奏楽部に入れば、またラーメン食べに行けるよ!」の一言で、単純だった私は吹奏楽部に入ることにしました。人生何がきっかけになるかわからない。人との出会いは大切にするものだ、と思います。中学入学当初、身長が136センチしかなく、おとなしかった私は音楽と出会った事で自分を表現する方法を手に入れました。
その後、高等学校に進学し吹奏楽部に入部。吹奏楽とマーチングを両立していたので、そこで初めてマーチングを知りました。マーチングデビューは、一年目真夏の七夕パレード。当時コスチュームは学ランの上に、布の様なものを付け、靴にはスパッツ、腕には長い手袋、楽器は当時のやたら重いLUDWIG 社製の銀色のバスドラムをベルトで釣ってと、今では考えられない感じでした。駅から公園までの往復約4キロのパレード。真夏の昼間、単純なリズム、皮膚呼吸もままならない状況でフラフラになって来た復路、付き添いの先輩が「おい、土屋大丈夫か?土屋気合入れろ」と口の中に梅干!、さらにフラフラになって来たところで、ドラムメジャーがやって来て、「気合入れろ」と言ったと同時にビンタ。ようやく終わったパレード、「マーチングってこんなにつまんない物なんだ。」としか思わない時間が続きました。「マーチングって面白い。」と思ったきっかけは指導者協会のキャンプでした。数名が興味を持ち、それが波及した事も手伝い誰もが一生懸命になり、3年生の時には開校以来初の全国大会に出場しました。全国大会以降、同級生や後輩との結束はさらに強くなりましたね。

これが私の夢となりました。

高校三年の関東大会会場の外で練習していると、鮮烈なサウンドが聞こえました。練習をしていた横浜 Inspires D&B Corps(以下インスパイヤーズ)でした。この時、このビューグル音に鳥肌がたったのがインスパイヤーズに興味を持ったきっかけです。大学進学を機に東京に出ると、インスパイヤーズに所属し、しばらくインスパイヤーズでテナードラムに、のめり込みました。大学一年の時、(1986年)DEG Japan さんのツアーで ウイスコンシン州マディソンで行われたDCIを観戦しました。これが真のDrum Corpsを初めて見た経験でした。あの音、あの動き、あの観客、鳥肌、涙、感動。DCIで演奏したい。これが私の夢となりました。それから88年までインスパイヤーズでのテナードラムでの自信を付け、年齢制限ギリギリの最後の年に渡米する準備を始めました。今でこそ比較的容易にDCIに参加する事は可能になりましたが、当時、私の知っている限りドラムでDCIに参加した日本人はいませんでした。渡米するにあたりドラムコーのツアーに付き添った経験のある方々に話を伺ったりもしました。かねてから興味のあったVelvet Knights D & BC(以下VK)に決めたのは音楽に対する姿勢でした。”音楽という文字通り、音を楽しんでいる。楽しむためにより真剣に音と向き合う””観客もまた、彼らの創る音を楽しんでいる”DCIのイヤーブックに載っていた住所を元に、VKのディレクター宛にメンバーとして参加したいという主旨の手紙を書き、オーディション用のビデオと共に送付しました。数週間後に了承の返事をいただきました。偶然にも在米の日本人の子がVKのメンバーにいるので、そちらへのホームステイを紹介するという親切なお話までいただきました。早速紹介いただいた方へ電話をしたところ快諾を頂き、トントン拍子で米国での安全なホームスティ先が見つかったので、大学を休学し渡米、VKのキャンプに参加しました。
キャンプに参加した時、テナードラムには既に4人のメンバーが決定していましたが、チャレンジするチャンスはある、との事でした。しかし、一緒に基礎練習に参加したものの、当時の日本のドラムとはレベルがまったく違いました。悔しくても仕方ない。赤ちゃんと大人ほどの差があったのです。そこであっさりテナーでマーチする事は諦めました。インストラクターに「他に何かできる?」と聞かれたので、「ティンパニーも叩ける。」と答えたところ、既にティンパニーも決定していたにも関わらず、「OK、Do it 」とあっさりチャンスを貰ったのです。ソロや基礎練習を見せ、指示された音へのチューニングをすると、あっさり「You Timpani!」と笑顔で握手。ほっと一息でした。私がティンパニーを叩くまでティンパニーを演奏していた子は、RCC(リバーサイド コミュニティ カレッジ)の子でしたが、その日にあっさりとカットされてしまいました。それほどに厳しい世界でした。当時カリフォルニアには、ブルーデビルス(以下BD)、サンタクララバンガード(以下SCV)、VK、フリランサーズやキングスメン等のCorpsがありました。キングスメン以外はファイナリストの常連で、どこも非常にレベルが高かったように思います。

記録よりも一生涯記憶に残るショウでした。

私がかつて見たビデオに写っていた面々が、インストラクターとして何名もVKにいました。「あっ!この人86年のBDでソロ吹いていた人。あっ!この人BDのドラムメジャーだ。あっ!この人86年のインディビジュアルのSDソロで2位だった人」ブリッジメン、BD、SCV出身のインストラクターやスタッフは充実していました。バッテリーでもピットでも、ツアー始まるまでにカット、入れ替わり、カット、入れ替わりが何度も続いていました。下克上の世界だからこそ、非常に厳しい練習と規律があり練習に練習を重ねました。ツアー中のバスの中でも夜の宿泊場でも、皆トコトコポコポコ。パットとスティックで練習をしていました。ツアーに入っても、練習(修正)、ショウ、移動、練習(修正)、ショウ、移動の繰り返しでした。地方の大会後では、練習後にSCVのティンパニーの人達とお互いの技術を見せ合い、切磋琢磨した記憶があります。地方では何度となくBDやSCV等を抜き、ハイパーカッションを獲得していたものの、カテゴリー別に見るとバランスが保たれない年となっていたせいか、この年VKはファイナル11位で終了しました。
大した成績ではなかったものの、私には記録よりも一生涯記憶に残るショウでした。ファイナルウイークでは、インディビジュアルソロコンテストにエントリーをしました。30人位エントリーしていたでしょうか。確か100点満点中91点くらいでしたが、6位だったのも今では良い思い出です。
帰国してから、インスパイヤーズで2度全国大会で演奏したものの、あの満足感は得ることはなく、空しくなったため引退しました。その後、学校関係や一般団体を指導させて頂く道を選びました。

コンサルティング能力を持った方が増えると良いと思います。

日本ではコンサルタントのような人材がまだ育成されていないように思います。DCIやWGIに参加した経験を持つ方々が、少ない報酬にもかかわらず情熱を持って指導なさっている姿を見かけます。その為か、全体のレベルも格段に上がっていると思います。素晴らしい事ですね。しかしながら、近年のマーチングの大会を見ていますと、さらなる発展には、もう一歩踏み込む必要があると思います。コンサルティング能力を持った方が増えると良いと思います。出来るようになる方法を幾つかの案として出し、この場合は、こうすればこうなるがこういう事が起きてしまう。こうしたらより良いのではないか。こうすると良くなる、というように、相手に理解、納得できる説明を行っていくと良いのではないでしょうか。その上での繰り返される練習は非常に効果的だと思います。それらの事がメンバーに浸透していけば、一シーズンが終わる毎に、理解が高まり未来につながります。「この場合こうだった⇒だからこうすれば良い」「この時はこうだった⇒だからここをこうすれば上手くいく」各々の意識は徐々に当たり前のものとして共有していけると思います。朝のお化粧やブラッシング、髭剃り等と同じで、鏡を見ながら「ここまだ、髭を剃り残してるなぁ~」とか、「眉毛の位置は左右対称よ♪」とか「寝癖ないな!」とか、毎日自分に手間をかけ、気になるところは直しているはずです。しかしながら、マーチしている際には、理解出来ない状況が起こるのが現実だったりします。気になるところをきちんと理解した上での反復練習をしていかないと、何度練習をしても同じ結果になってしまいます。気にならない寝癖、左右非対称の眉毛、髭の剃り残しとなります。曖昧な状況であればあるほど、本番も限りなく曖昧になるはずです。偶然やラッキーというのは、なかなかないものです。白雪姫に出てくる真実を語る魔法の鏡だったり、痒いところに手が届く孫の手だったり、そういった存在になる方がどんどん増えていくと良いですね。
コンサルタントの意識を持ったインストラクターが増えていけば日本のマーチングやドラムコーの将来は更に期待出来るのではないかと思います。

私は、原油・貴金属・穀物・株式・通貨等のディーラーを仕事としておりますので多少経済に敏感です。現在米国はサブプライム問題をきっかけに、リセッションに突入し始めており、USドルはドル安に進行しています。07年7月には120円だったドルは08年2月で10%程ドル安になっています。予算の観点から考えた場合、参加するにも、見に行くにもしばらくは良さそうですね。私もなんとか時間を作って復活したVKを応援しに行きたいと思います。今や、日本のマーチング・ドラムコー業界も相当数の人材を海外に輸出?しているようです。日本のマーチング・ドラムコー業界の発展に多少でも貢献出来た事を幸せに思います。今後の皆様のさらなる活躍を期待しています。

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