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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

ロバート・ランシー/Robert Lancy

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

Drum Corps World Writer(Japan)

ロバート・ランシー

ドラムは、11歳から始めて高校生までやっていました。ドラムコーは、1974年に「パープルランサー」という団体を観て興味をもったのが最初です。是非自分もやりたいと思って、それでドラムコーに入ろうと考えました。15歳(1979年)の時です。ニューヨークにあるドラムコーで「GAUCHOS Drum & Bugle Corps」という所でした。その頃ニューヨークには小さなドラムコーがたくさんありました。「GAUCHOS」はそのひとつのドラムコーです。

「GAUCHOS」では、15歳から18歳まで所属していて、初めてパーカッションを始めたときのインストラクターがレイ・ベネット(Ray Bennett)という人でした。彼はタフなインストラクターではありましたが、公平な面も持ち、そしてマーチング・パーカッションに対する情熱を持った人でした。彼はガウチョと私がスネアを演奏していたフルトン高校マーチングバンド(ニューヨーク州) の両方を教えていました。
私が12th Grade(日本では高校3年生)のとき、リバプール高校のドラムラインを教えないかとレイに頼まれ、教えることは初めての経験でしたが、トライしました。自分自身もまだ高校生であり、ドラムラインは皆自分と同世代でとても勉強になりました。他にもシルバー・ブレッツ・D&B Corpsのドラムラインを教えましたし、彼らのために音楽もアレンジしました。ガウチョで4年間一緒にスネアをプレイしたウェイン・ディーン(Wayne Dean)と共にシルバー・ブレッツのためにすべての音楽をアレンジしました。

1983年にガウチョはカデッツ・オブ・グリース(Cadets of Greece)と合併し、カデッツ・オブ・アップステート・ニューヨーク(Cadets of Upstate NY)となり約80人という大きい規模のものになりました。私は6人のスネアラインのリーダーをし、オープンクラスで競いました。そのカデッツは高い期待を得ていたのですが、マネージメントの問題により、たったの1シーズンで解散となりました。その後、私はアメリカ海軍に入隊したわけです。軍に入ったのは、特にドラムコーがやりたかったということではなくて、他の人たちと同じように普通に、ただ軍人として入隊しただけです。軍の中でドラムコーをやりたいなんていう気は全く無かったです。(笑)

日本に来たのは1983年。もちろん軍人としてです。あのミッドウェーです。まず横須賀に配属になりました。そのあと、厚木、佐世保と配属になって、21年間勤務して退役しました。軍は20年働くと退役できるのです。
日本でマーチングバンドに関わることになったきっかけは、息子が高校生になってからです。息子がキニックの高校に入学したのを機に、ボランティアで手伝うことになりました。手伝いだしてからだいたい5年くらいになります。

楽しんで演奏することを学んでほしいと日頃から思っています。

現在の活動としては、ボランティアでドラムを教えることが中心です。子どもたちには、楽しんで演奏することを学んでほしいと日頃から思っています。私自身が子どもの頃、楽しく演奏してきたので、子どもたちにもその楽しさを理解してほしいという思いで教えています。そして、キニックとしては、もっと外に出て活動をして行くことのできるようにもっともっと働きかけていきたいですね。ただ、現状としては日本のショーにはゲストという形でしか参加させてもらえていない。すごく残念なことですが、いつか正式にエントリーしてみたい、というのが希望です。将来は日本の大会に参加したいですね。現在は神奈川のマーチング連盟には入っていないのですが、加盟することが出来れば、もっと活動の場が広がるのではないかと思っています。

ドラムコーワールドのトップ記事になったものもあります。

ドラムコーワールドに記事を書くようになったのは、スティーブ・ベッカーに「日本にもドラムコーをやっている団体があるよ」とEメールで伝えたことがきっかけです。「じゃあ書いてくれないか」ということになって書き始めました。日本のドラムコーを紹介しようを思ったのは、私が昔入っていた頃のドラムコーのやり方にとても似ていたので、それで書いてみたいと思ったのです。書き始めてからだいたい3年位になります。
記事は感想ではなく完全なレポート形式のものです。どういう音楽を演奏したか、どれ位大きい規模であったか、などを、アメリカ人に対して紹介するために書いています。今まで書いた記事のなかで、ドラムコーワールドのトップ記事になったものもあります。たしかDCJの紹介です。
ドラムコーワールドの記者をやっていますが、実は文章を書くのはあまり好きではないです。現に写真のほうをたくさん送っているくらいですから。(笑)

いろんな人たちと交流することはとても楽しいですね。

アメリカではヨコハマスカウツが2007年DCIで演奏したことが、とても良い反響がありました。プロフェッショナルな演奏で、とても評判が良かったですね。実際に2007年のDCIは観戦に行っていないのですが、向こうのファンとの交流があって、PCの大きい掲示板などを通じて情報が入ってきます。ファンの人たちとの交流は、昔からとても好きなことのひとつです。いろんな人たちと交流することはとても楽しいですね。これを職業にすることができたらどんなに良いだろう、と思ってしまうくらいです。

やはりオールドスタイルが好きです。

アメリカのDCIは近年、大きく変わって来ています。私が演奏していた1979年頃にはピット楽器はありませんでした。そして、今のDCIはとてもショー仕立てになってしまっています。カラーガードがショーをやってしまっていて、時には歌まで歌っているのです。私がやっていた頃には考えられなかったことです。あの時代は全く無かったから。個人的にはこういう傾向はあまり好きではありません。やはりオールドスタイルが好きです。つまり演奏して観せるという事を大切にするべきと考えております。あくまで好みですが・・・・
私がオールドスタイルで教わってきたから、きっと古いやり方のものが好きなんだと思いますけどね。
日本のバンドもカラーガードがショーのようになって来ている、なんて言われていますが、アメリカに比べれば、全然ショーじみていないので、日本のマーチングは好きです。とても良いと思います。
そのことは、決してアメリカに比べて遅れているということではないのです。日本のマーチングはとても良く構成されていて、観ていてもすごく楽しいです。アメリカのドラムコーは年齢的に大体18歳から21歳の人たちがやっているのですが、日本では小さい子どもからやり始めていますね。実際にマーチングをやっている小学生をみて、とても驚いています。
日本のドラムコーを観ていて、今のままでいて欲しいと思います。アメリカではドラムコーのシステムが変わってきてしまっているから特にそう思うのでしょうか。私は今までの、オールドスタイルのほうが好きですから。

DCJ はたくさんのファンやサポーターを持つファンタスティックなショーをプロデュースする途中にあると思います

ドラムコーが日本で活躍しとてもうまくいっているのを知るのは嬉しいことです。特に去年のDCJのフォーマットはよく考えられたものでしたし、ショーも競い合うための面白さがありました。新しいクラスへの追加では、よりたくさんのコーが競い合いできるようになったことはとても良い事だと思います。また、野外でショーをするということはとても良かったと思います。コーは屋内ではとてもパワフルなサウンドを出せますし、スタジアムはとても良い音になります。DCJはたくさんのファンやサポーターを持つファンタスティックなショーをプロデュースする途中にあると思います。
私が日本のコーを好きな理由は、各コーがそれぞれの個性を持っていることです。横浜スカウツは去年アメリカへ行きたくさんのアメリカ人のファンをつかんでいます。他の日本のコーにも同様なことが言えると思います。
ヨコハマ・インスパイヤーズもまたアメリカでは有名です。DCAで競うためにアメリカに戻ってきてほしいという声も聞きます。
どこでマーチしようが1つだけ確実なものは、ドラムコーはファミリーであるということです。

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