• Individual
  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

田中 義之/Yoshiyuki Tanaka

Drum Corps Fun vol.1(2006年4月27日発行)に掲載

アレンジ/ドリルデザイン/インストラクション/ジャッジング

田中 義之

DCI のレコードに出会ったのが私とドラムコーとの出会いです

もともとは吹奏楽を始めたのが音楽との出会いです。中高一貫の学校で座奏とカレッジスタイルのマーチング、ビッグバンドのジャズなどをやっていました。進学校だったため部活は高校2年の秋で引退しましたが、高校の先輩が大学でも吹奏楽をやっているの観聴きしていましたので、私も大学に入学してからも吹奏楽をやりました。大学時代はカレッジスタイルのマーチングをやっていました。今風と昔風の両方が入り混じっているような状態でした。大学一年の冬に、他の大学の先輩にDCIのレコードをお借りして、それを聞いたのがDCIとの出会いです。1980年のDCIだったと思います。Blue Devilsと27th Lancersを聞いて、「とても信じられない」っていう感じで、特に打楽器にはびっくりしました。それから大学2年になると、日本マコーミクス(現ダイナスティジャパン)に入り浸って一日中DCI のビデオを見ているような生活をしていました。DCI のビデオを見てからはどうしてもこれをやりたいと思っていましたが、大学3 年のときにたまたま日本マコーミクスでビデオを見ていた佐野賢司さん(現チェリーブロッサムズ代表)に誘われてヨコハマインスパイヤーズに入隊し、最初はベースドラム担当になりました。1983年の4 月でした。その年の11 月に加藤政広さん(現ヨコハマロビンズ ブラスアレンジャー)に打楽器のチューニングを頼まれて京浜女子(現鎌倉女子大中高等部マーチングバンド)に手伝いに行ったんです。その日一日だけのつもりだったんですが、その後しばらく指導するようになりました。大学4年の春にそれまでアルバイトしていた日本マコーミクスが(株)DEG ジャパンに改称したのがきっかけで社員になり、大学を中退しました。

DEG ジャパンに就職、89 年に退職して業界から足を洗ったつもり・・でした

社員になってからはイベント等で外国人の方を日本にお招きする機会が多かったんですけど、ロバートスミスさん(作曲家、最近では吹奏楽の作品で有名)をお招きしたときに、当時ロバートさんが指導していたSuncoast Soundに勉強しに行く機会をいただいて、アメリカに行きま した。もう私はエイジアウトしていましたから、メンバーとしてではなく勉強で、という形でした。たまにピットのメンバーのお世話などもしていました、片言の英語で。ショーをやっている最中もティンパニの音程を注意したりして・・。その後87年の全国大会までで鎌倉女子の指導を辞め、またインスパイヤーズのメンバーもこの年で辞めました。89年にDEG ジャパンを退職し、普通のサラリーマンをしていました。完全にこの業界から足をあらった・・つもりだったんですが、翌年インスパイヤーズのスタッフミーティングによばれ、その年の8月からスタッフとしてインスパイヤーズに復帰し、6年ほど過ごしました。1991年からは東京実業高等学校の指導をはじめ、その後ザ・ヨコハマスカウツ、平安小学校、インペリアルサウンド、中田小学校、東京フェニックスなどに関わらせていただいて、2002年から2005年度までヨコハマロ ビンズにアレンジャー兼インストラクターとして参加しました。今はDrum Corps Japan 公認ジャッジ・審査委員会委員長、日本マーチングバンド ・ バトントーワリング協会公認指導員として活動しています。

こだわりは、とにかく明るく楽しく!

指導する上では「マーチング以前に音楽しましょう」とみなさんに言っています。特にヨコハマロビンズのメンバーには言っています。打楽器、 特にバッテリーはスティックのハイト(スティックの高さ)をとても気にするんですが、私はそういうのはあまり気にしません。もちろん揃っ たほうが良いに越したことはないんですけれど、演奏をどう音楽的にやるのかという方が気になってしまうんです。私は音楽的な指導をまず心がけています。あまり指導に対して特別なこだわりはないんですが、あえて言うとすると「明るく楽しく」というところでしょうか。何かひとつの瞬間にモチベーションを上げられるような指導ができるように心がけています。あと、反復練習をさせるのがあんまり好きではないんです。自分でするのは好きなんですけれど。必ずしも好きな人ばかりではないでしょうから、気を使ってしまうんですね。メンバーが楽し く反復練習ができるような指導をするのが私のこだわりです。

5年後にはDCI に木管が入るんじゃないですかね・・・

近年日本のマーチングは世間一般に認知される度合いがかなり高くなってきています。これはとてもいいことであると思っているんですが、私が気になっているのは「いいメロディーが少なくなっている」ということなんです。コンテストの帰りにお客さんが口ずさめるようなメロディ が少ないと思うんです。最近ではショー作りにおいてバラエティを気にしすぎているような気がします、今のDCI もそんな傾向にあるようで すけれど。今後のマーチングシーンはさらに変化を遂げるのではないかと思うんです。5 年後くらいにはDCI に木管が入って、10 年後には別室に弦楽器がいてその音をスピーカーからフィールドに流してマーチする・・・なんていうのが悲しいですけど今後のDCIの方向性なんだと思います。これが実現したらアメリカは大きく変わってくるでしょう。

とにかく国語力!!

最近の審査について、私はDCJ の公認ジャッジをしていますが、将来的に8人制から「打楽器2」を含めた9 人制にしていきたいと思っています。今ジャッジシス テムを細かく作って運用できるように動いてはいるんですが、現状では運用できる人材が少ないんです。秀でたプレーヤーがいいジャッジになれるとは限りません。必要なのは国語力!それから現象を分析できる目と耳です。これらがないといい審査ができません。でも、どちらが重要かというとやはり国語力だと思います。また「指摘することと褒めることのバランス」も重要だと思います。基本的に日本人は指摘されることの方を喜ぶ傾向にはありますが。例えば9月ごろのファーストショーの時期には「ここはこうしたらどうでしょうか?」などの提案型のジャッジング、10-11月には「いいところを褒めながら細かな指摘をしていく」というジャッジングが良いのではと思います。すべての団体を自分が指導していると思ってジャッジすることも重要だと思っています。できれば、この先何年かできちんとしたシステムを作り、人材を確保していきたいと思っています。

自分を冷静に理解したうえであとは反復あるのみです。

インストラクターを目指す人には、先ほども言いましたが「国語力」だと思います。もちろん現象を切り取る能力もそうですけれど。たとえばメンバーから「このフレーズはどうやって演奏するんですか?」と聞かれたときの技術的な再現能力は大して必要ではないと私は思っています。 それよりもメンバーにしっかりとした説明ができるだけの国語力の方が重要で、できるだけメンバーに負担にならないようなアプローチが必要です。たとえばですが、ショーでできていない部分があったら指摘して改善方法を指示しますよね?その時にその指摘をネガティブに言ってしまっ たらメンバーはヘコむしかないわけです。メンバーの気持ちも考えながら適切な日本語で指導できる、やはり国語力ですね。

関連記事一覧