• Individual
  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

梶山 宇一/Uichi Kajiyama

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

プログラム アドバイザー/ミュージック コンサルタント

梶山 宇一

何もわからぬまま、アメリカに渡りました。

1984年(当時10歳)、天理教愛町分教会吹奏楽団に入団しました。中学生の頃、同世代の仲間たちの間で、DCIのビデオを見ることが流行り、高校に入学する頃には、「自分もいつかアメリカでプレイしたい」と思うようになりました。当時は、今のように、インターネットで情報を調べたり、アメリカで経験した人たちから話を聞いたりする事はできなかったので、本当に何もわからぬまま、アメリカに渡りました。

アメリカで見た練習の様子はとても新鮮で、学んだことや感じたことは、すぐに日本にいる先生や、仲間たちに送りました。楽器の構え方から、マーチングの技術、練習の進め方などを、手紙やビデオレターにまとめ、日本に送ったことを今でも鮮明に覚えています。あの頃は、練習の仕方や新しい練習譜などを、手に入れたいと願う人は多くても、その願いはなかなか叶わず、我流で練習方法を見つけなければならないという時代でした。

キャバリアーズには合計5年間お世話になりました。92年はボランティアスタッフとして、キッチンの手伝などをしながらツアーに同行し、練習に参加しました。93年から95年までの3年間は、フロントアンサンブルのメンバーとして、アメリカ全土を周り、98年にはパーカッションインストラクターとして、指導をさせて頂きました。

92年以前、キャバリアーズが海外からメンバーを受け入れたことはなかったので、私が日本から入団を希望してアメリカまで来たということを、現地の方々はとても驚いていました。「まさかアメリカのドラムコーが海外にまで知られていて、日本からキャバリアーズのツアーに参加する若者が現れるなど、夢にも思わなかった」と、当時よく言われました。92年、キャバリアーズはDCI初優勝。95年には2度目の栄冠を手にし、私自身もインディビジュアルコンテスト優勝という日本人初めての栄誉を頂きました。振り返ってみると、まだ日本でマーチングが今ほど盛んではなかった頃に、たくさんの方々に支えて頂きながら、アメリカで勉強をさせて頂けたということは、本当に幸せなことだったと感じています。

「個性」を大切にし、伸ばしていくということが、指導をする上でとても重要だということを学びました。

アメリカという国は子供たちの個性を生かし、個々の可能性を最大限に引き伸ばすことに関しては、素晴らしいものがあります。練習も、メンバーたちがやる気を持てるように、楽しく、効率良く進め、良いところは褒め、間違っているところは、個人の気持ちを傷つけないよう、丁寧に指摘します。「個性」を大切にし、伸ばしていくということが、指導をする上でとても重要だということを学びました。

98年、コンコルディア音楽大学打楽器科を卒業し、帰国しました。日本に帰ってきた当時は、「アメリカではこうだ!」という思いにとらわれて、いろんな事に柔軟に取り組めなかったことを覚えています。今から振り返れば、「アメリカではこうだから、こうでなくてはならない。」という考え方そのものが、自分よがりの考え方であったことに気づかされました。何にでも柔軟に対応できることこそ、アメリカの闊達さであり、自由さであったのだと、時間が経ってから気づきました。

今はできるだけ、日本独自のしきたりや、文化を大切にしながら、アメリカで学んだことを生かして指導にあたっています。日本には他の国には見られない優れた部分がたくさんあるように思います。例えば、近年、日本のプロ野球選手が、アメリカ大リーグで高い評価を受けるようになりました。それは、長きに渡り、日本独自の審判制度やルール(狭いストライクゾーン、ボークに対する厳しいルールなど)を考案したからではないでしょうか。アメリカから入ってきたスポーツでありながら、日本人の背丈や国民性にあったルールを独自に生み出し、甲子園、応援歌など野球がわからない人たちにも、野球を愛してもらえるような文化を創り出しました。その結果日本は、今、世界に誇れる人材を世界へ配信しています。これは素晴らしいことだと思います。

私たちの活動は、たくさんの国々から注目され、各国に大きな影響を与えています。

私は仕事で海外に行かせて頂くことが多く、タイやシンガポールなどでも、指導や審査をさせて頂いています。今、日本のマーチングは、アメリカ、ヨーロッパはもとより、特に近隣のアジア諸国から注目されています。毎年、中国、韓国、タイ、マレーシア、シンガポールといった国々の指導者たちが、日本の全国大会を見に来られます。20年ほど前に、我々日本人がアメリカからたくさんの事を学んだように、今、私たちの活動は、たくさんの国々から注目され、各国に大きな影響を与えています。

だからこそ今、アメリカの路線とは違う日本独自のマーチングを生み出し、日本の個性を伸ばしていくことが必要だと思います。この15年ほどで、タイのマーチングは急速に発展を遂げ、そのレベルは日本を追い越す勢いです。DCI経験者も増えてきました。台湾のグループもDCIのツアーに参加し、シンガポールやマレーシアなど、暑い国々でも、マーチングが盛んに行われるようになってきました。初めて日本の全国大会に足を運ばれる各国の先生方は、「とても勉強になりました。」と、感動して帰って行きます。日本のマーチング全国大会のDVDも、いろんな国々の各学校に、資料として置かれています。

Judge(ジャッジ)という単語の意味には、審査員、審判員というものの他に、「裁判官」という意味があります。

各国、独自のマーチングスタイルを保有し、大会の審査方法などもさまざまです。審査方法こそ、日本独自のものを生み出していく必要があると感じています。今回本誌にて、アメリカで学んだDCIの審査システムをまとめましたので、興味のある方がいらっしゃいましたら、是非読んでみてください。私も日本国内や、海外で年に何度も審査をさせて頂くことがありますが、審査をさせて頂く度に、演奏・演技に得点をつけるということの難しさを感じています。そして、自分が付けた点数により、涙を流さなければならなかった生徒を見ると、仕方がないとは言え、とても心苦しくなります。

Judge(ジャッジ)という単語の意味には、審査員、審判員というものの他に、「裁判官」という意味があります。審査員と裁判官では、その言葉に課せられた重みが違うと言われる方もいるかもしれませんが、私はそうではないと感じています。その一球の判定のために、甲子園に行けなかった、その誤審判定のお陰で、オリンピック行きの切符を逃したなど、判定された側にとっては、とても重大な問題です。

人間のすることですから、間違いもあり、失敗もあります。しかし、大会までの練習の過程で、選手や演奏者たちが費やしてきた苦労と時間を考えれば、その一つの判定・審査は、裁判官が下す判決に値すると選手たちは感じているはずです。それほどに、選手たちの大会に向ける姿勢は真剣で、何物にも変えがたい大切な時間をそれぞれに過ごしています。そんな彼らの大切な時間を、より意義あるものにするために、公平な審査がされなければなりません。それが、審査をするものに課せられた義務であり、任務であると思います。だからこそ、そこにある審査規則は、明確で平等なものでなければならないと感じています。

目標に向かっていく過程の中で、生徒に何を伝えていけるかを常に考えながら、指導にあたっていきたいと願っています。

過去には、正しい練習方法がわからず、時間を無駄に過ごしてしまったこともありました。必要以上に体に負荷をかけるような練習や、演奏指導をしたこともあったように思います。しかし今は、「正しいこと」がなんであるかが、少しずつわかってきたので、無駄のない、効率良い練習が可能になってきました。自然の流れに逆らわない、滑らかで、無駄のない動きや、楽器の特性を十分に生かし、体に負担のかからないリラックスした演奏方法などが、重要視されてきています。

そんな「正しい」練習方法をいつも探りながら、子供たちの「感性」を大事にして、練習に取り組んでいきたいです。時代の流れとともに、変化していくスタイルや練習方法と、時代が変わっても、変わってはいけない生徒たちに対する「思いやりや、優しさ」とのバランスをとって、新しい世代の人たちと関わっていかなければならないと感じています。「中学生らしさ」「高校生らしさ」「日本らしさ」、各団体の「個性」を大切にし、伸ばしていけたらと思います。目標に向かっていく過程の中で、生徒に何を伝えていけるかを常に考えながら、指導にあたっていきたいと願っています。

言葉の壁を越えて、お互いを理解し合えることこそが、マーチングの魅力ではないでしょうか。この活動を通じて、世界中の人々と広い繋がりがもてるよう、これからも努力していきたいと思います。

関連記事一覧