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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

山田 亜貴/Aki Yamada

Drum Corps Fun vol.2(2007年4月11日発行)に掲載

インストラクター

山田 亜貴

ESTEAMでの、6年間は私にとって一生の宝物です

小学校の時に音楽クラブに入っていて、トランペットやトロンボーンをやっていました。嘉悦女子中学校(現かえつ有明中学・高等学校)に入学して是非フルートをやってみたかったので、吹奏楽部に入りたいと思っていました。しかしマーチングバンド部にはフルートがないことを知り、どうしようと思っていました。そんな時、教室の窓から見える校庭で、旗を振っている先輩方の姿をみて「カッコイイ!!やってみたい」と思い、カラーガード希望でマーチングバンド部に入部しました。
中一の時のカラーガードパートは、中一だけで15人ぐらいいて、すごく多かったです。高校3年まで、ガードに残ったのは4人でした。中一の頃は、SHOWにカラーガードとしてではなく、パネルを動かす人、パネラー(嘉悦ではそう呼んでいました)として、SHOWに出させていただきました。中学2年、3年で少しずつSHOWに出して頂けるようになり、カラーガードが好きになっていきました。高校生になるとマーチングが大好きで、部活のために学校にいっていた気がします(笑)高校一年生の時に音楽室で、初めて98年のWGIのビデオをコーチにみせて頂き、衝撃を受けました。「すごい!! かっこいい!!」あんなふうに上手くなれたらいいなと思いました。そのとき見せて頂いたSHOWが、FANTASIAとPRIDE のSHOWでした。その頃はチーム名もわからなかったですが…DCIのビデオも見せていただきました。、アメリカのチームは、本当にすごいといつも見ては感動、衝撃の連続でした。
ESTEAMでの6年間は、私にとって一生の宝物です。私は嘉悦でESTEAMに出会うことができ、本当に良かったと思っています。マーチングを通じて、たくさんのことを学びました。たくさん笑い、たくさん泣き、つらいことも苦しいこともたくさんありました。もちろん辞めようと思ったことも数え切れないぐらいあります。でも、本当に続けてきてよかったと心から思っています。続けてこられたのは友達、先生方、コーチの方々、両親の支えがあったからだと、心から感謝の気持ちで一杯です。私にとってあの6年間は一生の宝物ですし、6年間一緒に、家族よりも長い時間をともにした(マーチングをした)仲間は一生の友達です。あの6年間があったからこそ、今もこうしてカラーガードを続けているのだと思いますし今の私があると思っています。
憧れからでしょうか… アメリカでマーチングをしてみたいと思ったのは。高校3年生の時に、先生にお手伝いして頂き、DCIにVIDEOでオーディションを受けました。Santa Clara vanguardに合格してマーチすることになりましたが、一年目は英語も出来ず、ガードの技術も追いつくのが必死でした。日本に帰ってきて、もうアメリカでマーチするのは辞めようとさえ思っていました。 
アメリカにはもう行かないと思っていましたが、2002年にYamato Drum&Bugle Corpsに行きました。またその次の年もYamato に参加して2003年にエイジアウトしました。2002年に日本人のカラーガードインストラクターの方から、PRIDE(プライド・オブ・シンシナティ)を一緒に受けに行かない??と誘われました。その頃は、もちろんWGIのことはまったくと言っていいほど分からなかったです。何度かPRIDEのSHOWはビデオで見たことがあり、大好きなWGIのチームのひとつでした。日本に帰ってから、WGIのことはあまりよく知らなかったのですが、オーディションだけでも、良い経験になるのでは? と思いPRIDEのオーディションを受けに行きました。 
結果は合格でした。本当に驚きました。このオーディションがきっかけで、WGIの世界にはまってしまうことなります。

WGIのショーが終わった時にもうすでに来年もやりたいと思っていましたね

今までマーチしていたSCVやYAMATOは、西海岸カリフォルニアにある団体です。プライド・オブ・シンシナティは東側の団体で、びっくりしたのがテクニックが全然違うことでした。一番テクニックで違うなと思ったことはトスの投げ方です。FLAGの重さも違いましたし、基礎練習の進め方も違ったので本当に驚きました。もちろんどちらのテクニックが良いというわけではなく、スタイルが違うということです。
初めてのWGIは色々な経験をしました。PRIDEは、私がマーチした年は主に週末練習で、平日は練習がなかったのでバスに乗って街に行ってみたり、図書館にいってみたり、毎日街に行けば新しい発見がありました。そして英語の必要性を強く感じました。WGI最初のシーズンは、自分にいたらないところがたくさんあったために、私にとって良いシーズンとはいえなかったですが…本当にいろなことを学ばせていただきましたし、自分と向き合ったシーズンだったと思います。支えてくれた皆様に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 
2003年、大和で一緒にマーチしていたアメリカ人のメンバー数人がFANTASIAのメンバーで、ツアー中に「WGIやらないの?」「FANTASIAで一緒にマーチしようよ、楽しいよ!」などと色々みんなと話をしているうちに…WGIはやらないと決めていたのですが、やはりマーチしたくなってきてしまいました。FANTASIAは、私がWGIのビデオを高校生の時に始めてみて憧れていた大好きなチームでしたので、あのチームで友達と踊れたら楽しいだろうなと思い、その年にオーディションを受けに行き合格することが出来ました、夢かと思いました。本当に嬉しかったのを覚えています。
私は2004年からFANTASIAのメンバーとしてマーチしています。現在3シーズンを終えて、今年は4年目です。 
FANTASIAの最初のシーズンは、私にとって思い出深いシーズンになりました。この年のショーは、スタンリー・カナール氏(WGI を設立する役割を果たし、ダンスやカラーガードの活動に革命をもたらした。2002 年に他界)を追悼するショーだったのです。このSHOWは、ご覧になられた方はお分かりになるかも知れませんが、ショーの中でいろんな方がスタンリーの思い出などを話しています。そして、詩が読まれています。ショーでのチェックポイントは、”言葉”を使うこともありました。(例えばMUSTといっているところでアラベスクをするといったような感じです)。そのため私は、お恥ずかしいですが英語を覚えることからはじめました(苦笑)友達に、練習の合間をみて、ノートにSHOWで言っている文章を書いてもらい、それを家に帰って訳す、その繰り返しでしたね。
楽しいシーズンにしようと思って臨んだシーズン、自分なりにやれるだけのことを精一杯やろうと頑張りました。本当に色々な事や考え方が自分の中で少しずつ変わっていった年でした。2004年、FANTASIAはチャンピオンになることができ、本当に嬉しかったです。でも何より嬉しかったことは、みんなと楽しいシーズンが送れたことでした。WGIのショーが終わった時に、もうすでに来年もやりたいと思っていましたね。
そして2005年では、また少しずついろんな事が見えてきました。自分はパフォーマンスするのが本当に好きなのだと実感でき、本当に楽しかったですね。2006年プレーヤーとして最後の年と思いマーチした去年、本当に良いシーズンを送ることができ、これで終わりだとデイトンアリーナに別れをいったつもりでしたが、今年、2007年もマーチすることになり、今はアメリカで 週5日楽しい仲間たちと、WGIに向けて練習をしています。

マーチングをやっている限り、何歳になっても、青春できそうです

私は、KARL(ファンタジアのインストラクターのカール・ロー氏)の作るショーが大好きです

本当に好きです。どうしたらあんなにすばらしいショーができるのだろうと、いつも思いますね。KARLのショーにメンバーとしていられることが本当に幸せです。人としてもガードの先生としても、本当に尊敬しています。
私にとってのWGIは「自分を表現できる場所」です。いつもの自分ではなくもう1人の自分でいられる場所ですね。WGIはカラーガードが主役なので、高い技術が用いられることが多く、エンターテイメント性が高くなっていると思います。WGIのショーを見た人が、まるで映画を見ているようだ、と言っていたいう話を聞いたこがあります。そのたとえを使わせていただくと、私達メンバーは映画に出ているキャストということになりますよね。映画は見ている人を映画の世界に連れて行ってくれます。そしてお客さんを楽しませてくれるように、私もSHOWを作る一人として、お客さんにぜひ楽しんでいただきたいと思います。そしてフロアに立ったら1人のパフォーマーとして、見て下さっている方たちを楽しませることができればいいなと思い、パフォーマンスしています。自分の踊っているときの写真などをみると、自分で恥ずかしくなりますね(苦笑)、すごい顔になっていることが多々ありますよ。

メンバーの子達から「今年のショー大好き」と言われたときは、本当にうれしかったのを覚えています

日本では現在、インストラクターとしてカラーガードにかかわらせていただいています。インストラクターとしては日が浅く、毎回のレッスンが自分との戦いです。レッスンをしていてメンバーから学ぶことも多くあり、指導することがどれだけ難しいかを日々感じていると同時に、SHOWを作る楽しさも感じています。メンバーと一緒になってショーを作っていくことができたらと思っています。私自身もこれからインストラクターとしての勉強をしていきたいと思っています。
メンバーが「ガードがもっと好きになった!」「楽しい!!!」と言ってくれると本当に嬉しいですね。これからも少しでもカラーガードの楽しさが伝わればいいな、と思っています。やはりメンバーのみんなが成長していく姿を見ていると本当にうれしく思いますよ。これからメンバーも、そしてお客さんにも楽しんでいただけるようなSHOW作りができるといいな、と思っています。はじめて振り付け・構成したショーで、メンバーの子達から「今年のショー大好き」と言われたときは、本当にうれしかったのを覚えています。  
大会などで思うことは、カラーガードのキャプションの審査がないことです(カラーガード審査がある大会もありますが、まだ少ないと思います)。これから先、カラーガードの審査項目が、どの大会でも入れば良いなと思っています。 
カラーガードがいるといないでは、ショーの雰囲気もイメージも変わってくると思います。目から入ってくるビジュアルと、耳から入ってくるミュージックがマッチしたときのパワーはものすごいですよね。本当に見ていて鳥肌がたちます。日本でも、カラーガードがこれから、どんどん広まってほしいです。マーチングバンド、ドラムコーももちろん、日本にはまだまだ少ないガードチームも増えていってほしいと願っています。これからもマーチング、カラーガード、パフォーマンスを通じて色々なことを学んでいけたらと思っています。

何度シーズンを過ごしても変わらない事があります

それは新しいショー、シーズンが始まる前の気持ちです。今年はどんなショーだろう? どんな曲だろう?? 毎回ドキドキ、ワクワク。いつになっても中学1年生です(笑)それはマーチングをはじめた頃から変わりません。不思議ですよね。でも変わらないんです。カラーガード、マーチングをやっている限り、何歳になっても、青春できそうです(笑)でもそんな気持ちが大切なのかもしれないと、この頃考えることがあります。メンバーだけではなくお客様がSHOWを見たときも「今年は、どんなSHOWかな」「何が起こるかな??」と楽しみなのと同じように。そう思うとマーチングっていいなーと思いますね。最初の気持ちを忘れずに、これからもカラーガードにかかわっていければと思います。見ている人をワクワクさせるようなパフォーマンスをして、見てくださってる方もワクワクするようなSHOWを作ることができたらよいと思っています。
これから、カラーガードやマーチングを通じて、たくさんの人に楽しんでもらいたいと思いますし、マーチングやカラーガードがもっと日本全国に広まっていくことを願っています。

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