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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

長田 英之/Hideyuki Osada

Drum Corps Fun vol.2(2007年4月11日発行)に掲載

インストラクター/ドラムアーティスト

長田 英之

音楽との出会いは、私が小さい時です。両親が2人とも音楽を専門にしているので、子供のころ学校から家に帰ればいつも音楽が流れていました。普段の生活の中に音楽がありました。でも、私の親は、私に無理に音楽をやらせることは全くなかったと思います。ちょっとしたエピソードなのですが、私が2、3歳くらいの時に父親がトイレに入っているところを外からノックしたら、父親がふざけてリズムでノックし返したらしいんです。(記憶に無い)そしたら私が、それをそっくりそのまま返して、更に父はより難しいリズムを叩きなが何度もくり返したところ、私は1度も間違えなかったらしいんです。それで父は私のリズム感が良いんではないかと、小さなおもちゃの太鼓を買ってくれました。案の定私はそれを買ってもらった日は一日中トコトコやっていたそうです。(笑)そのころから叩くことが好きだったんだと思います。本格的に打楽器を習い始めたのは、小学校5年生くらいですね。

勝ち負けにこだわるより、自分が求めている音楽性を追求したかった

マーチングがやりたくて95年に横浜のマ-チングバンド、Bay Maxに入りました。その年、チームメンバーとして、アメリカのDCIに初参加。高校生の時です。初めて本場アメリカのドラムコーを見て驚愕したことが思い出です。
トップクラスのBlue DevilsやCadetsやCavaliersの技術にも圧倒され、マーチングにハマってしまいました。その後、80年代後半から90年代半ば頃のDCIのビデオテープを擦り切れるほど見て、自分なりに研究し、その中で一番魅了されたのがCrossmenでした。
Crossmenは決してチャンピオンを狙うチームではないのですが、あのジャジーで都会的なサウンド、そして何より思わず頭を縦に振ってしまいたくなるような、パーカッションソロのグルーブ感に惚れこみました。(特に90年のBaroqueSambaや91年のThird Wind,92年のBigin SweetWorldなど。)勝ち負けにこだわるより、自分が求めている音楽性を追求したかった私は96年にオーディションを受けに迷わずCrossmenのキャンプ(合宿)に参加しました。

ピット楽器ほど音楽性の面で豊かで複雑なセクションはないのかもしれません

最初はスネアで入りたかったのですが、キャンプに行った時期が遅かった為にバッテリーは全て埋まっていました。そこで一年間ピットをすることになったのですが、鍵盤楽器(マリンバ、ビブラフォンなど)の経験はほとんどなかったので苦労しました。個人練習の時は本物の楽器がなかったため、大きいシーツの様な白い布にマリンバの鍵盤をマジックペンで描き写して練習していました。シーズンが始まっても、他のメンバーについていくのが大変でしたが、それでもピットの奥の深さに少しずつはまっていきました。
バッテリーはストリクトでかっこよく、勿論リズムの心臓部分でありますが、ピット楽器ほど音楽性の面で豊かで複雑なセクションはないのかもしれません。マーチング的要素はないが、複雑なリズム、和音、メロディー、そして何よりもたくさんの楽器を使いこなす楽しみがあります。ピットの中でしっかりサウンドを作った上で、背後から聴こえてくるブラス、バッテリーの音としっかり調和させなくてはならない。そこにピットの醍醐味を感じました。結局96年~98年の3年間はピットとしてCrossmenでマーチすることになりました。

ボストンでの生活は新しい音楽との出会いでした。

Crossmenでマーチした3年間はジャズとの出会いでもありました。インストラクターが、ジャズスタンダードからパット・メセニーのようなコンテンポラリーなジャズのCDまで幅広く聴かせてくれました。そこで益々ジャズの世界へと引き込まれていきました。
これは本格的にジャズをやりたいと思い、2000年にボストンにあるバークリー音楽院に入学。ドラムセットのパフォーマンス科を専攻しました。バークリー音楽院ではジャズ以外にも、ファンク、ソウル、ヒップホップ、ブラジリアン、アフロキューバンなど様々なジャンルに興味を持つようになり、ボストンでの生活は新しい音楽との出会いでした。これほどまで自分の知らない音楽が存在することに驚かされ、更にそれぞれのジャンルが交じり合いながら新しい音楽が生まれる。当時、私はそんな枠をぶち壊した囚われない音楽の世界に興奮の連続でした。

形にとらわれない音楽を作っていきたい。

演奏者とお客の距離が常に近い状態で音楽を楽しむことが出来ます。

004年にバークリーを卒業して、一年間ニューヨークで一人暮らしをしながら、アルバイトと自分の音楽活動を開始しました。ニューヨークではこれといって勉強をすることはなかったのですが、とにかくあそこは超一流が集まってくる。私はほとんど毎週末には彼らの演奏を聴きにライブハウスやジャズバーなどに通いました。学校で音楽の勉強をするより、遥かに学べることがあったと思います。とくにジャズ系のライブは、大きな場所で演奏することはないし、お客もお酒を楽しみながらリラックスしている。演奏者とお客の距離が常に近い状態で音楽を楽しむことが出来ます。演奏が終われば、たまに演奏者とお客が会話を交わすこともあり、私も憧れのミュージシャンと話が出来たときはとても嬉しかったです。とにかくニューヨークではライブを見て、セッションをしながら自分もちょこちょこライブをするという繰り返しでした。

1年間のニューヨーク生活はあっという間に過ぎて、気付いたら日本だった。(笑)
帰国後もライブや音楽の活動をする一方、昔私がお世話になったマーチング関係の人のお誘いで、今は高校のマーチングバンド(パーカッション専門)で指導もしています。これからも形に囚われない音楽を作っていきたい。

人間の魂の奥底から湧いてくる音を聴きに行きたいです。

今後はマーチングというスタイルに囚われず、自分の感覚でいろいろな音楽を取り入れて行きたいです。今までに様々なジャンルの音楽に出合いましたが、まだまだ自分の知らない音楽が多いくらいだと思います。常に新しい発見をして、それをマーチングにも生かしていければ良いですね。

将来的にやりたいことは観光では無く、いろんな国に行くことです。そこでそれぞれの地が持つ音楽の原点を知りたいと思います。ただメロディーがきれいとか、かっこいいフレーズとかいうだけにとどまらず、人間の魂の奥底から湧いてくる音を聴きに行きたいんです。きっと自分の世界観が変わるでしょうね。(笑、今は無理ですが)

最後に、今マ-チングにのめり込んでる若い人や、マーチング以外の音楽にぞっこんな人も、ただ楽譜に書かれている音符を演奏するのではなく、何故自分がこの音楽や曲に魅了されてしまうのかを感じて欲しいですね。「ただの好き」ではすまされない何かがきっとそこにあるはずです。そして自分にしかないスタイル(個性)を大切にしてください。人から、「あの人(団体)のあの曲だから是非聴きに行きたい」と思われれば、演奏家としこれほど喜ばしいことはないでしょう。

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