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あたらしいマーチング時代の幕開け

Drum Corps Fun vol.2(2007年4月11日発行)に掲載

ダイナスティジャパン株式会社 社長
国際マーチング研究所 所長
マーチングインオカヤマ 総合コーディネーター
マーチングインオキナワ常任審査員
東京消防庁音楽隊カラーガード隊 マーチングコンサルタント

横田 定雄

次年度からマーチングバンドの全国大会は学生・一般部門のすべてがさいたまスーパーアリーナで一括開催されることになったため、日本武道館での全国大会は今回が最後になるという。さまざまなノスタルジックな思い出を残すことになった場所ではあるが、40年以上が過ぎ老朽化し狭く使いづらい日本武道館から、さいたまスーパーアリーナの広く設備の整った会場に移ることには大会参加団体と観衆の安全と快適さを求める人々の圧倒的要望があった。
言うまでもなくサッカーなどの普及で大会場があちこちにできた今日、新たな世代の観客にとってはあたりまえのこととして受け止められている。また、中高の受験生にとって深刻な問題であった開催時期の問題も12月開催になることで少なからず改善されることになる。またバンドコンテストが同時開催となり、学生団体と一般団体との交流のチャンスも増えてメンバー不足に悩む一般団体にとってもうれしいことになるし、学生にも大人たちの素晴らしいショーを見る機会が増えて、すべての面で活動の活性化につながるだろう。こうしたメリットの多い新しい流れは参加団体、支援組織や観客にとっても大変よろこばしく、これからの日本のマーチングの新しい流れを加速することになるだろう。

国際社会への適応 ―― 審査制度

近年の日本のマーチング文化活動の進展は、若手指導者たちの成熟とアメリカの指導者たちの貢献があってその内容にはたいへん目をみはるものがある。恵まれた環境を作ることができた一般団体と恵まれた一部の高校団体では着実に国際化されてきた日本のマーチング文化活動だが、マーチング活動=コンテストという図式の中で課外活動として運営されてきた過半数の学校団体には決して楽でない時代であった。

アメリカのマーチング文化活動の根本をなす社会との結びつきに比較して圧倒的に少ない発表場所と回数、またコンテスト教育制度として学術的に確立されていない審査制度など、日本ではまったくといっていいほど中身がないものであった。はたして優秀な先生がいればできるマーチングという構図は、まったく個人に依存した活動でしかなく、全国組織における審査制度の国際化などはまったくと言っていいほど進まなかった。かくして現状は、ステレオタイプ化が進み、「すごい」ところと「すごくない」団体の2極化が進行してきているのである。

全国的に早くからアメリカのよいところを制度的に積極採用した組織として、マーチングインオカヤマ、マーチングインオキナワ、ドラムコージャパン、神奈川県マーチングバンド・バトントワーリング連盟などは、着実にこの20年間で優秀なマーチング文化活動の成果をあげてきた。そこから輩出される優秀団体の名前を思い起こすまでもない現実である。審査講評をサイマル録音する制度、採点基準表、細部にわたる評価の公表など、不正を排除し有効な教育手段としての制度が確立されてきた。アメリカから専門的審査教育を受けたジャッジを毎年招聘し、すでにアメリカにほぼ比肩する制度が実施され、多くのその恩恵を受けてきた。こうしたコンテストに参加した団体は確実に成長し、高い教育効果を享受している。反面、毎年県、地区コンテストに参加しながらも何らさしたる成果を上げられないでいる団体も日本中に数多存在しているのが現状である。

こうしたコンテストの国際化は案ずるより産むが易しである。変えようと思えばそのときから変えられる。審査される側はある意味優秀な先生の登壇を待つ生徒であり、急に変わっても、そこに何の不自然さも不合理もない。まさに待ち望んでいるのが現状である。20年前とは違い、現在では上記のような組織がすでに高い実績を上げているのであり、資料などもすべて日本語化されている。躊躇する理由などは自己都合によるものでしかないだろう。

すべてが改善されてコンテストに参加していぶかしむこともなく、非常に学ぶところがあるのである。筆者自身20年の間、岡山や沖縄の審査の国際化に取り組み、自ら翻訳、通訳の立場で学習、研究してきた。まことにすばらしい勉強ができたと大いに感謝している。よいものはどんどん学ぶのが真の伝統主義であり、変化をすることができないでいるのは主義どころか単に性格的問題でしかない。公的組織が良くなることを拒むものがあるとすればそれは個人の意見として尊重しないでもないが、学問の発展を拒むのだとしたらそれはまさに人間の悪しき業と欲でしかない。

コンテストフィールドの国際化

さらに、コンテストフィールド、もしくはショーフロアの問題もある。駐車場の5メートルを利用したにしか過ぎない現在のドリルフィールド。アメリカはフットボールフィールドの5ヤード(5メートルより約1割短い)を用いている。洗練されたドリルショーができるアメリカは日本よりも明らかに有利な条件なのである。歩幅が小さければ演奏にもよいことは歩ける人なら誰でも分かる。日本が5メートル8歩になっていることなどに固執する学問的根拠など微塵もない。
近年、アメリカの団体が日本に来ると歩幅を広げる調整をしないと日本ではドリルが展開できない。歩幅を広げるのは楽ではない。また日本の団体がアメリカに行くことも多くなってきたが、これもドリルを書き直すほどの労力が必要となり、まさに国際化の障害である。ヨーロッパでも伝統的ファンファーレバンドなどに代わってドラムコーやマーチングバンドが急成長しているが、ケルクラートのマーチング世界大会でもヤードラインを利用している。

もとよりメートルなどに音楽をするものがこだわる根拠はない。蛇足だが、今までメートルで練習したので急に言われてもできないという固定観念に支配された人がままいるが、試しにヤードでポイントを作り黙ってバンドにやらせてみたらいい。「今日はなんだかドリルしやすかった」という言葉を聞くだろう。筆者はすでに何ら問題のないことを確認し、歩きやすく姿勢も良くなることを確認しているのである。一歩にしてみたらわずかなのだが、48歩進んだら何メートル違うのか考えてもらいたい。マーチングをやると音が悪くなると言われているが、それはそうだ。普段よりも大股で歩かされるからだ。故鈴木竹男先生がアメリカ人は足が長いからマーチングがうまいと仰っていた。ならばなぜ日本人は大股でマーチするのか。

普及をはばむもの

さらに、別の観点からもこれは改正が必要である。体育教育上の基本的な問題として、どんなスポーツでも小学生と大人が同じ距離で競うことはありえない。別個の活動としても児童に配慮したシステムが必要になるは社会の常識。小学校の体育館は高校などより小さいし、椅子や机も小さい。これを否定するほどの馬鹿な大人はいないが、マーチングの世界ではこの基本を教育的に無視する者が多い。言わずもがな、改正点は明白で、小学生のマーチングには1歩の歩幅を縮めることが必然である。よい姿勢、よい歩き方を教えるマーチング教育の根本である由、なんど言っても言い過ぎではない。

小学校の体育館で35メートルどころか30メートルの奥行きなどとれるところはそうはない。現状では「だからマーチングはできません」ということになり、マーチング活動を自ら普及できないできている。過去には体制には逆らえないとして、ごく一部に大人並みのドリルを展開した学校もある、できるとしても押し切る先生の情熱が必要だ。これでは一般的になる由もない。小学生が普通に歩いてできるマーチングにしなければならない。

ちなみに四角いサイコロのラインも要らない。これは蛇足な事項ではない、マーチングの本質にかかわる問題である。なぜなら、この四角い箱を思わせるラインは、小さいバンドが余計小さく見え、大きいバンドは余計大きく見える。視覚的にも観衆には邪魔であり、なんの役にも立たない。テレビ放送されて多く視聴者があの四角いラインは何ですか。はみ出ると減点ですかとか思っている。テレビ放送関係者ですら疑問視する。そんなことはありませんと言うと、ならば、なぜあると聞かれる。観衆には邪魔なのである。

また、自由な表現のコンテストでありながらこれは「型にはめようとする」ものでしかない。あの四角にぴったりはまるバンドが一番理想ですと言うことをしつこいぐらい暗示をかけている。事実、日本だけに存在するこの四角の呪縛から逃れられないひとがたくさんいる。これを変えましょうというと、まるで宗教改革か体制への反逆というぐらい石頭までいる。ラインがなくてもバンドは訓練されていて本番ではほとんど関係ない。マーチングのショーの表現には役にもたたないどころか邪魔である。視覚的な芸術を作る場に訓練場のようなラインなど無用。バンドがそれぞれの編成に合わせて好きなようにコンテを描いて表現すればいいのである。もしラインが必要なら自分で引けばいいのであるが、あくまでも訓練用のラインと心得るべきである。フロントサイドラインとハッシュマーク、入退場口ぐらいで十分である。

四角がステージではない。ステージに四角が置いてあるのである。昔は軍隊ドリルで役に立ったのだが、時代が変わった。すでにみなが創意工夫のドリルショーを作るステージになっているのである。ワイドな画面のテレビでマーチングショーがきれいに見える日が来たときが、一般大衆がマーチングショーが好きになるときである、と断言する。

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