有國 浄光/Kiyomitsu Arikuni

Drum Corps Fun vol.5(2010年4月30日発行)に掲載

全国高等学校文化連盟 マーチングバンド・バトントワリング専門部 部長

有國 浄光

全国高等学校文化連盟マーチングバンド・バトントワリング専門部

今の日本のマーチングは大会ありきにはなっていますよね。また、組織的には、小学校部門と中学校部門と高校部門と一般と縦に繋がっています。これは社会的にまとまるには一番良い形ですが、各部門が発展するには横の組織が大事になってくると思います。中学校の組織、高校の組織。大会も中学校には中学校に合ったそのルールと、会場、大会時期があると思いますし、高校には高校生に一番適したルールだとか時間の長さがあると思います。それぞれが単独開催できるほど組織と加盟団体の意識が成熟していないのが今の日本のマーチングだと思いますし、吹奏楽連盟にしても社会人団体、学校団体の縦と横のどちらに軸足をおき、どういう風に育てていくかが定まっていない印象を受けます。

全国高等学校文化連盟(以下、高文連)は7月の下旬から8月の頭にかけて毎年大会を行っていることもあり、吹奏楽連盟(以下、吹連)とか日本マーチングバンド・バトントワーリング協会(以下、M協)の大会の為の前哨戦と言いますか、作品の途中経過を確認する為の大会になってしまっているのが現状です。本当は高校オリジナルのコンテストにしたいと考えています。吹連とかM協ではなくして、高等学校として目指すもの。ただ、現時点では選抜方法と演技基準に問題があります。選抜をしている都道府県と、代表を輪番で派遣している都道府県とがありますし、あとは毎年会場の固定が出来ないことも大きな問題です。去年の三重県サンアリーナのように1万人近く入る会場から、今年の宮崎の様に1,500人程度の会場まで開催都市によって変わります。その辺がどうしても参加する団体のレベル差、温度差、また指導者やチームが求めている方向性がまだバラバラな状況で、とりあえず夏の発表会というレベルに留まっています。吹連系もありますし、M協系もありますし、大会には出ないけど一生懸命やっているっていう団体もあります。出来れば高文連のオリジナル、個人的には吹連のパレコンの一番最初のスタイル、マーチを使って正確さとか直線の美しさ競うコンテストに出来ればいいなと考えています。

高文連という組織が高体連に比べてまだ認知度が低いのが現状です。高体連の全国大会がインターハイで、高文連の全国大会が総合文化祭です。種目がたくさんありますから、参加人数は高文連の方が多いくらいです。ただ選抜の方法が高体連は各県の予選を勝ち抜いて、そのトップが集まる。高文連は吹奏楽連盟にしても合唱連盟にしても組織としてのコンクールのシステムが確立されているので、コンクール以外の発表の場、という形になってしまっています。しかしながら、高文連で面白いのは、パレードを審査している事ですね。ほとんどの団体がパレードに参加するのですが、5年前からグッドパレード賞を設定し、私を含めたマーチング有識者5名で全団体を審査し、マーチング5団体、バトン5団体へグッドパレード賞を出しています。これをもう少しきちんと定義してコンテストにしていきたいと考えています。毎年3000人近い参加者になるので、規模的にも内容的にもレベル的にも一番高い所にもっていければ面白いですね。マーチングの醍醐味っていうのはまずパレード。パレードからスタートしてパレードに帰ってくるっていう本来の姿を大切にしたいと思っています。

マーチングは吹奏楽というカテゴリーのひとつの枝葉であって、表現方法を耳から耳ではなくて、目にも伝えよう、立体的に表現しようとするものです。吹奏楽も合唱もあるいは国語という授業も同じ目的があるのかもしれないですが、最後は表現だと思います。まず音楽ありきです。最近のマーチングの傾向はフィギュアスケートと同じで、やる人と見る人の差が出てきて、「これではとても参加できないよねって…。」確かにこれなら自分のチームでも出来るとか、1年あれば…というレベルではないですよね。もう1回みんなで原点に戻って、パレードをする楽しさ、外で楽器を吹く楽しさ、不特定多数の人に対して訴える面白さ。選曲ももっと聴く人が知っている曲を選ばなければいけません。だんだん敷居が高くなってきているかなという気がします。

大洗高校はイベントの面白さで育ってきました。元々吹奏楽の世界から転身したのでマーチング界にとってはちょっと異端児かもしれません。日本の現場は自分たちが本当に求めているのものを作っていないというのが実感です。大会に出られることで満足し、大会や審査を自分たちでこの方向に育てようという意識が弱いのです。

世の中にはマーチングを知らない方も結構いますが、やっぱり社会的な需要が必要です。自分たちで探せば、外で演奏できるイベントというのはいっぱいありますよ。それが運動会でも良いし、町内会の盆踊り大会でも良い。お金をかけずに歩いて行って帰れるくらいの会場で、ちょっとしたパフォーマンスする空間を見つけて、その中で社会とコミュニケーションを取りながら、「マーチングって面白いね」とか「また来てね」という風に普及していくことが大事です。マーチングはお金かけて、広い練習場があって、楽器が揃って、良い指導者が居るといった条件が全部揃わないと難しいというイメージがありますが、やはり地域の需要に上手く乗るというのが大事だと思います。良いイベントを発掘して、本番を増やして、地域の人と触れ合う時間を増やしていく事が一番、普及・発展に繋がることで、そうやって社会に認知されていかないと難しいと思います。

私の所は年間100~110ステージくらい本番が入っているのですが、正直言って落ち着いて練習したいなとか、この土日は動きたくないなという時もあります。でも、1回呼ばれた所にまた呼ばれることが一番大事だと思います。全国大会なんかはファンと身内しか来ないですし、一生に1度もマーチングを見ない人の方が多いのですから。

メディアに上手く乗ることも大事で、広告や新聞に写真が出たり、大きなイベントから最初に話をもらえるというのはやはり嬉しい事です。本番を重ねる事で音楽が上手になっていく部分もあります。

ジャッジについて話をすると、自分の所に良い点数を付けるジャッジが良いジャッジで、自分の所に厳しいのは悪いジャッジなんですよ。僕のポリシーとしては、勝っておごらず、負けて言い訳せずと思っているのですが、組織的にジャッジを育てる努力をしていないのかもしれません。ジャッジのシステムはどんなシステムを採用しても、必ず不平は出てくるし、全員が納得するジャッジというのは出来ないと思います。運動の世界みたいに何秒何でどっちが勝ちか、年齢も男女も関係なく先に辿り着いた方がトップだというのでしたら納得しますけど、音楽の世界は複雑な部分が面白味となっているところがあります。そういう現場が分かって、マーチングをしっかり理解して、ブレないジャッジが出来る人というのは育っていないですね。
少なくともこのライセンスが無いとジャッジ出来ないという基準は必要です。とっかえひっかえ依頼、悪ければまた次を使うという手段は、その悪い時に当たった団体は悔しいですね。M協も吹連も目に見える形で改革して欲しいと思います。
以前は吹連の全国大会に参加していたのですが、ある年からエントリーするのを止めました。ジャッジと直接話す機会があり、『どうしてこういう点数になったのか、どうすれば良いのかちゃんと教えて下さい』と言ったら『僕は素人だからわからない』という返事でした。子供は、命賭けてやってるんです。例え自分の所の点数が低くとも、こういう観点でこうジャッジをされたというポリシーが伝われば納得はするのですが…吹連のジャッジは音楽の有識者は揃っているけど、マーチングが分かる人はほとんどいない中でジャッジをしているのが現状です。これではやはり子供が可哀想だと思って、吹連には出ないことに決めました。
M協も同じかもしれませんね。全国大会が全てではないし、一年間に経験するイベントの1つとして地方大会や全国大会があると思います。もちろん出ればやはり上に行きたいし、子供たちにも全国大会の緊張感というのも勉強させてやりたいと思いますが。全国大会ありきというか、「全国大会が全てだ」とは考えない様にしています。だから全国大会の前日に本番が入ることもあるし、帰りがけに本番が入ったりすることもあります。

周りの環境は大人が変えたんだと思う

今の高校生、若い子たちの事が良い様に言われない事が多くあります。働かないとか欲が無いとか。草食系だとかっていうのもあります。しかし、現実にはそうではない部分もたくさんあります。基本的に子供は変わってません。周りの環境を大人が変えたのだと思います。携帯電話は僕らの頃は無く、週休2日も無かった。大人が自分の都合で塾を作ったり、携帯電話を作ったり、ゲーム機を作ったり。子供は本来群れて遊んだり、いつまでも学校に居て、部活をやりたいものです。それを大人がどんどん規制してしまった。その結果として常識がないとか、礼儀知らずだとか言われます。そういう躾を社会や家庭がしないで文句を言うのは、子供が可哀想だと思います。

うちは学力的には教育困難校なんて言われていますが、家庭でも色々な環境があり、背負ってる部分があります。努力は裏切らないという言葉がありますが、部活動で頑張っていると、自分たちも出来るという自信をもって卒業していってくれます。現場としてはそれが一番の目的ですから。
親は自分の学生時代の成績を忘れいてるじゃないですか。それなのに自分の子供には大学に行けとか要求しますけれど、みんな東大に行く訳ではないし、高卒で働くということでも良いと思います。お金はかからなし、それが社会を支えていく訳ですから。大学に行かなくても良いから高校時代は好きな事に打ち込んで、卒業したら一生懸命働くという選択肢があってもいいと思っています。

教育のかかえる問題は今日からシステムを変えて実践したって、結果が出るのは20年先になります。僕らだって最近の若い者は生意気だとか、礼儀知らずだとか言われて育ってきました。今の子供たちを見てみると、何だこれはと思うし、その高校生が今の小中学生を見てあいつら宇宙人だって。もうどんどん変わってきているのです。一周して元に戻れば良いんですが、その辺は政治の考える責任です。僕らは学校という枠の中を預かっています。お互いその責任のエリアを『ここまでは俺たちの責任だ』『これは学校の責任じゃなくて社会の責任だ』『これは社会の責任じゃなくて親の責任だ』というように、学校を一歩出れば学校の責任ではないと思うのですが。
しっかりと頑張っている子は、就職も進学も良い結果を残します。結果的には、私たちがやっているのは子供に生き抜く力を教えるということであり、音楽という媒体を通して我慢する事とか、集団のルールとかを教えるという所に行き着くのではないかなと思います。

いま感じていることは、マーチングも吹奏楽も現場がもっと声を出すべきだということです。これはおかしいよ、こういう審査は駄目だよ、こういう風にして欲しいとか。キャッチボールが出来ない、トップダウンになっていく現場ではなく、自分のチームの事だけを考えるのではなくて、「みんなで良くなろうよ。」情報の交換をして、「ある物はみんなで使おうよ」という風に共有していく方が良いと思います。だから楽器が余ったら貸してあげれば良いし、そういった貸し借りの出来るシステムを作れば良いし。指導者だってどんどん交流すれば良いと思うのです。

茨城は、とっても上手くいってます。小中高の指導者みんなで集まりますし、千葉の先生方も良く遊びに来ます。うちの楽器を使ってる学校も関東近県に沢山ありますね。よく吹連系とかM協系とか、誰の流れだとかと仕分けをしたがるじゃないですか。あんまりそういうのは良くないですね。来る者拒まず去る者追わずで、色んな考えの人が集まって話しをしたり、飲んだりすべきです。組織の中から現場に戻って感じるのは、やはり現場が一番面白いということ。子供にとって良い先生というのは会議で議長を務める先生ではなくて、いつも傍に居てくれる先生です。現場と組織の経営というのはまったく別で、そういう面では今の吹連だってM協だって会社としてもっと経営システムをきちんとする部分と、教育理念として逃れてはいけない部分との両面性が必要ではないかと思うのです。人事の交流という部分で、若い人を入れたり、一般企業の人を入れたりすることも必要です。同じ人が同じ所で固まっていると同じ考えになってしまうかもしれまん。
でも変わるのは本当に大変です。吹連も大変、M協も大変。もっと若い人を現場から登用するのが良いと思うのですけれど、次は誰がリードしてくれるのかな、誰に委ねていくのかなというのははっきりしていないですよね。

プロが入らないであれだけの人が集められて、あれだけの大会が出来ているというのはすごい組織だと思いますけれども、あの大会の為だけでは駄目だと思います。
センスの良い人はたくさんいると思いますがもっと企業だとか、政治がバックアップできる体制をつくらないとダメです。現状では生涯学習とか社会教育が育ちきらない日本の土壌を変えることは困難だと思います。

僕らみたいに誰の門下でもなく、どっち系でもないというのは珍しいかもしれません。良いものは何でももらってしまうけれども、絶対これだと言うのは持たないようにしてます。和洋折中、吹奏楽とマーチングの良い所は全部取り入れようと思っています。

今の形を作り上げるのに35年かかりました。吹奏楽で10年、マーチングで25年です。一時期は33人まで部員が減って、学校が統廃合にギリギリの所からやっと今60人、来年は75人くらいに増えそうです。平成22年度は中編成になりますが、夢をもう一度と言いますか、もう一度大編成にチャレンジしたいなという気持ちは持っています。しかし、人数が増えるとトラブルも増えます。色々な出来事も多くなります。段々、気持ちが億劫になってくる現実もありますね。
部員増加に繋がった全国募集というシステムはこれまでにあまり例の無いことだと思うのですが、一長一短あります。でも、部活を死ぬほどやろうという人間が1クラス作って、朝から晩まで練習するのは良い事だと思うし、マーチングに限らず野球やりたい奴はこのクラスに来いとか。そういう学校があって良いと思います。

今、私達に足りないのはハングリー精神です。練習場もある、設備もとりあえずこれ以上の物を望めない、指導者もすぐ傍に居る、楽器にも困らない、色んなイベントに出して頂けるようになった。しかし昔の方がガッツはありました。今は冷暖房の建物で練習が当たり前、歩いて3分で練習場があるのが当たり前になってしまいますが、でもそれは違うよって言いたいです。
一定のレベルになってしまえば人もお金も人も集まってくるのですが、そのレベルに達するまでというのは結構苦しいです。勝てない時代、人数が少ない時代。それをいかに乗り切るかが大切です。僕らの若い時はまだ良い時代でした。親がうるさく無かった時代だし、クレームが来る事もなかったですから。今でも教員に同じ事をやれとは言えないし、社会がそれを許しません。僕は良い時代を過ごさせてもらったのかなと思っています。

これまで自分の夢をひとつずつ叶えてきました。全国大会へ行きたい、海外遠征に連れて行きたい、金賞取りたい、グランプリを取りたい、年間100回イベントに出たい。次の夢は何なのかと聞かれたら、何なのかということを最近考えています。
茨城の小学校、中学校、高校、一般の全部門から全国に通用するチームを作りたいという気持ちもあります。今は小学校はとても頑張っていますが、中学校がまだまだです。小中高とシステムを連動させていくことが大事です。運良く、本校では全国からの募集が始まりましたが、中学校でマーチングを頑張ったけれど地元の高校で受け皿がないという中学生は結構居ます。学校がもう倒産寸前の所から光が見えてきたという感じはあります。あと3年で定年なのでその後はどうなるんだろうと考えています。いつも走り続けてきました。仕事があったり、目標があるのはとても有難い事だと思ってます。

話は戻りますが、今の私に出来る最後の仕事は『高文連のマーチングバンド』のレベルアップだと思っています。関東学院の広岡先生から部会長職を引き継いで14年になりますが、毎年総合開会式とマーチング&バトンの発表会を見てきました。高総文祭全体のレベルもマーチング&バトンの大会レベルも年々高くなっています。パレードについては、実行委員会で組み合わせたマーチング団体とバトン団体が事前に音源を確認し、一体となって公道を行進する形が開会式の華として高い評価を得るようになりました。
高総文祭は全国を東・中央・西と三ブロックに分けてローテーションで開催されます。22年の宮崎大会が34回になりますが、次のサイクルは福島、富山、長崎、茨城が決定しています。準備をしている滋賀、広島、宮城と続けば未開催県は東京・岐阜・和歌山・高知・香川・佐賀・鹿児島になります。私は、茨城県開催の前年に退職となりますが、パレード技術の向上と発表会での優秀団体選考には道筋をつけて退きたい考えています。
発表会については『完成度のアップ』、パレードについては、『マーチングとバトンの調和』『音楽的で美しいパレード』を目標に参加団体の意識向上を図りたいと思っています。

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