茨城県立大洗高等学校 マーチングバンド「BLUE-HAWKS」

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

昭和61年の全国大会初出場以来22回連続出場を果たしている大洗高校。今も変わらないその洗練されたサウンド、シャープな動きの秘密を探るべく練習にお邪魔した。輝かしい実績の裏には、数々の努力が隠されていた。

大洗高校は学校創立2年目(昭和50年)に吹奏楽部としてスタートを切る。初めの10年間は吹奏楽で全国を目指した活動をしていたとのこと。そんなある日、秋田で開催された「高校総合文化祭」でマーチングとの出会いがある。校長先生からのすすめもあり、昭和60年に開校10周年記念事業としてマーチング活動を開始、ここから部員と顧問の有國先生のゼロからの挑戦が始まったのである。その後、平成2年にマーチングバンド部と改称。チーム名「BLUE-HAWKS」は太平洋を表すスクールカラーの「青」と、鋭い動きをイメージした「鷹」から命名された。

「走ること」「我慢すること」「夢を持ち続けること」を部訓に、地域に愛されるマーチングバンドを目指して、グランドの一角にあるマーチングバンド専用コート・音楽コース専用校舎棟などの充実した環境設備の中で、平日4時間、休日8時間の練習を続けている。
大洗高校には「普通科音楽コース」があり、マーチングバンド部の活動とリンクしている。部員のほとんどが音楽コースに在籍しているが、もちろん普通科一般コースからの部活動入部も可能。ちなみに普通科一般コースから入部した生徒は2年生に進級する際には音楽コースへ編入するケースがほとんど。音楽コースに専門科目授業(音楽理論・器楽・マーチング実技)もあり、まさにマーチングをやるには最高の環境である。

マーチングバンド部は大会以外にも国内各地のイベントを中心に年間平均90回の演奏活動を続け、洗練されたサウンドとシャープな動きは多くのファンを獲得している。
出演要望があれば可能な限り対応したいという気持ちから、1日に3、4カ所のイベントで演奏することや大会前日に出演ということもあるのだという。現在、演奏制覇した都道府県は27カ所。その移動の全てがバスとなり、年間の移動距離は9000キロにも及ぶという。
「どこでもなんでもできるのがマーチングの良さの一つ。足場が悪いときも、ステージが狭いときも、何が求められているかをその場で感じ取り、たくさんのメニューとプログラムを持つことでその時々に合わせたプログラムを組む、そのリアル感が本当に楽しいです。」イベント出演を大切にする考えをお伺いしたのは監督の有國淨光先生。
平成4年にはシドニー市長の招聘によりオーストラリアに遠征。以後、3年に一度オーストラリア・マレーシア・シンガポール等への遠征を実施している。平成19年度8月にはオーストラリアへ6回目の海外遠征を実施し、オペラハウスをバックにした絶好のロケーションでの公演は好評を博している。

このように全国を見渡しても、ひときわ輝かしいマーチング活動を続けている大洗高校でも、近年では少子化の影響、全国規模で進む高校再編成の波には頭を悩まされているおり、最大100人近くいた部員も現在では33名になっている。
この問題について有國先生にお聞きすると、「このままでは…何とかしなければ…と、そのことをいつも考えていましたね。そんな時、県外から音楽コースへ入学を希望する生徒が出てきたのです。もちろん寮などもなく県外からの入学は県立校の制度上不可能であるにもかかわらず、茨城へ親とともに転居して入学したケースが2年続きました。全国には『高校でもマーチングがしたい!大洗高校でマーチングがしたい!』という子供達が、たくさんいることに気づきました。」
この思いを信じ、全国募集の受け入れ態勢を整えることを決意。平成19年から本格的に計画をスタートさせた。マーチングバンド部のこれまでの実績もあり、茨城県教育委員会も全国募集を特例で許可。また、頭を痛めていた住まいの確保という問題も、相談を受けた大洗町が学校近くにある日本原子力研究開発機構の職員宿舎に着目。機構側の「地元に貢献できるのなら」という協力もあり、県外から入学する女子生徒寮の準備に大洗町が協力することになった。坂本校長は「住環境、安全面とも寮として申し分ない。親元を離れる生徒を安心して受け入れる態勢のめどが立ちました。町や原子力機構の支援に感謝します。これを期に生徒が増え、学校の活性化につながれば」と喜んでいる。
そして、ついに今春20年度の入試より全国募集を実現。有國先生が全国行脚して今回の募集を積極的にPRしたこともあり、県外からの入学希望者はチャレンジ1年目にして10人程度にまで及んでいるとのこと。またこの取材の後、男子寮についても大洗町が全面協力の上、約10名の受け入れ態勢を確立したという。
顧問の渡邉学先生も、「チャレンジの年になります。もう走り始めているので止まれません。この新しい試みに参加してくれた生徒にはこの時期にしかできない何物にも変えがたいものを感じ、経験し、そして地元に持ち帰って欲しいです。それを感じさせることがこれからの我々顧問の使命です。今後は、公立高校でこうした試みが広がると良いですね。」という力強い意気込みが返ってきた。
部活内はもちろんのこと、学校・地域の方々も一丸となり、新たな試みをスタートさせた大洗高校。名門復活という言葉が囁かれるのはそう遠くないのかもしれない、そんな思いを抱かせてくれた取材であった。

関連記事一覧