【スペシャル対談】荻原隆久氏×横田定雄氏

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

DCJ会長

荻原 隆久 氏

ダイナスティジャパン(株)社長

横田 定雄 氏

横田:この前の、味の素スタジアムでのDCJは良かったよ!すばらしいスタジアムで音響もよくて、鳥肌が立ちました。とても感激したよ、僕は。地方から来た方々にも大好評だった!G管のビューグルは、やはり屋外のサウンドがいい。もともとマーチングは室内でやるものではないし、マーチングのルーツはドラム&ビューグルコーだということを一人でも多くの人に知ってもらいたいですね。

そこで今日は今後のマーチングがどうあるべきかを、昔の話も交えながら話をさせてもらいましょう。昔はGのビューグルを売り歩くぞって言い出したら、楽器業界で異端児扱い。2バルブで欠陥のラッパじゃないか、あんなもので演奏できないだろう?出ない音があるんでしょって、まず言われたもの。ピストンが2本だからそりゃあ出ない音ありますよ、そんなことは見ればわかるでしょって。だからやんですよ、おもしろいですよって。(笑)それはさておき、日本のビューグルの本格的な話は、先ずは1975年にフィラデルフィアで開催されたDCIに、ライジングサン(日本ビューグルバンド)が参加したときに多くの日本のマーチング有志が見学に行ったことでしょうか。

荻原:「桜」吹きましたよ。ライジングサンのメンバーとしてね。もともと僕は関東学院で広岡先生にしごかれて、罵倒されながら育った生徒だったから(笑)。関東学院中学のブラスバンド(ビューグルバンド)のクラブに入って、その頃はビューグルといってもノーピストンですよ。昔の兵隊のラッパで、ドミソの倍音しか出ない。それでヨーロッパの楽譜があって、それを演奏し、バトンと一緒に・・・パレードバンドが始まって、そのうちに、マーチングバンド連盟が発足した。僕が高校入った頃かな、日本ビューグルバンドができて・・・。卒業して1~2年後にその日本ビューグルバンドに入隊してドラムコーを目指してやっていたんだ。だけどトランペット以外の楽器が音程が良いという理由、そして、DCIも近いうちにB管に変わるという理由で、いつの間にかB管に変わっていった。でもやっぱり(あとでG管のことには触れるけど)G管が欲しくて、アメリカにDCIを観に行った後輩に、10本くらいソプラノを買って来てもらった。横浜公園、今は球場になっているけれど、昔は音楽ホールだったので夜持ってきて、徒党を組んで楽器がきたきたーって吹いて。やっぱり俺たちがやりたいのはこれだ、と思ったね。そして、DCAのキャバレロですよ、ラマンチャ。その音楽がどうしてもやりたくてね、清水君に言って、楽譜を書いてもらって、それを日本ビューグルバンドとは別の時間に有志のラッパだけが集まって、その曲にチャレンジしたんだ。みんな「こんな高い音で?」「いくら吹いても吹いても息が入りすぎちゃう」「音にならないですよ」「とてもじゃないけれどもたない、とにかく排気量がでかすぎて」と。しかし、みんながやりたいのはやはりこれだと確信を得たのを思い出しますね。そして、これ以上先輩後輩(ほとんど関東からの先輩後輩だった)の関係を悪くしたくないので「申し訳ないけど辞めさせてもらいたい」と申し出て、その時に約17、18人辞めて、それから独自に練習し始めた訳よ。その後、ドラムの連中も「どうしたんだよ、何でやめちゃうんだよ、何だ、冷たいな、俺達も一緒に絶対やりたいよ」って言われてね、ドラムの連中も来て、カラーガードも来て、インスパイヤーズが1982年に発足したわけなんです。

横田:日本ビューグルもG管がいいのか、B管がいいのかって、もう亡くなられているから言ってもいいと思うけど、当時、岩波さんと倉島さんが相談に来たんですよ。私はお話を聞いてみて、日本ビューグルはブリティッシュブラス、ドラムコーをやりたいひとはGのビューグルがいいと話したのを覚えています。でも、分離させたくない気持ちもあったから、Gで出て行く人たちに好感はもたなかったかもしれません。結局インスパイヤーズがGでいくっていうことで対立みたいなことになったようですけど。

荻原:もともと日本ビューグルはノーピストンから1ピストン1ロータリー、それから全部B管が良いっていうことでB管に。しかし、それは違うだろ、我々がやりたいのはGビューグルのドラム・コーだったと思ったんです。

横田:フィラデルフィアに最初に観に行ったきっかけは本物のマーチングを観に行こうって、みんなで連れ立って行ったんですよ。その人たちが各地に散って結局みんながそれぞれ始めた訳。だからあの頃がいわゆるマーチング的なスタートなんだよね。だから関西も、山本さん(須磨の浦ベンチャーズ)が帰って関西でマーチング活動を本格化していったんですね。関西も普及っていうかそういう意味でいろいろ動き出した。

荻原:須磨の浦だって元々はビューグルだもんね。

横田:そう。最初からビューグルでしたね。当時すでに消防とか警察なんかも一部はビューグル入っていましたから。

荻原:神奈川県警が入っていたのかな。

横田:警視庁も消防庁も持っていたし。

荻原:インスパを始めて何年かして、岡山県警(ドラムメジャー)の山崎さんに惚れられて、5~6人で視察に来られたんです。それから、岡山でビューグルコーを立ち上げられたのを思い出しますね。

横田:それがマーチング岡山の始まるきっかけのようなものだからね。

荻原:そうそう。

横田:当時、岡山県警音楽隊の安田隊長は東京オリンピックでファンファーレを吹いた人。岡山の音楽隊はドリルが上手かったんですよ。日本一だった。警察の音楽隊の全国の発表会があるんだけど、そこで1位になっているからね。20年前のドリルのDVDを見ても今でも結構上手いからね。当時としてはすごかったね。実は彼らがいなかったらマーチングインオカヤマはなかったんですよね。

荻原:やっぱり大したものですよ。みんな、人並みはずれた情熱がありましたよね。

横田:当時として「これ20年前ですか」って感じだもんね。今だって官庁の音楽隊であそこまでできるところはなかなか無いからね。しかも兼務隊でしょ。そこで僕が、一番当時不思議に思ったのは、そこまで動かす情熱がどこから来るのかっていうことね。僕はマーチングをアメリカで観て、これは良いなあって思ったんです。ハイスクールのマーチングをホワイトウォーターで観て、何でこんなに良い演奏でこんなに綺麗に動けるんだって。と同時に車椅子のメンバーをユニフォーム着たひとが押してちゃんとドリルの中に入っているわけね。そこまでやる。何がそこまでやらせるんだっていうのに惹かれたね。それで、そういうのを知って帰ってきて、新宿の日本ダブルリードで日本初のダブルリード専門店を創って、それから辞めて出版に戻ったけれど、ダイナスティの本社の社長が、当時別の大手の楽器屋さんが日本のデスティトリビューターをやっていて、代わってやってくれないかという話があったわけ。で、1年考えたんだよ。僕は。
当時逆にGのビューグルで行くというのは楽器業界のなかで見ても奇をてらう向きがあったんです。だけど実際には、知らない人が言うんです。アメリカでワシントンに大統領直属のマリンコーというのがあって、素晴らしい演奏をするわけ。2ピストンのビューグルで、Gで。楽器の問題ではないんですよね、マーチングは。日本でも普及させたいという思いになりましたね。

荻原:あれはレコードで聴いても驚くよ。

横田:これは別の全く違う次元の素晴らしさがある。で、これは日本でもやらねば。マーチングの発明者は誰かっていうとアメリカなんですよ。ジャズはアメリカ人が発明したと誰でも知っている。もっぱら黒人がね。一方、ドラムコーはもっぱら白人系なんですよ。で、ルーツはいわゆる鼓笛隊などのカソリック系の教会組織と、いわゆる退役軍人会といって引退した軍人たちが子どもたちにドリル訓練をさせようと、といっても鉄砲持ってやるわけにいかないから、木製のライフルを持たせたり、音楽隊としてラッパを吹いて太鼓を叩いてやろうと。という形を組んだのが退役軍人会。その2つがルーツで結局アメリカ人が作ったわけ。日本でも戦後、小学校で鼓笛隊や金管バンドが普及したけれど、あれもすべてアメリカの真似で商売を始めたわけ。

当時はドリルのショーも日本人にはユニークで面白かったけれど、あのGのサウンドというのが信号ラッパだったから独特だった。戦場で吹く音の抜けの良い楽器にルーツがあるから、音の抜けは抜群ですよね。だからそういうところで、野外でやるという前提でドラムコーがアメリカで既に存在していて、普及しまくっていた。数千団体。とんでもない数あったんですよ。それも一般団体で。学校では一切やっていなかった。アメリカのハイスクールとかスクールバンドは、もともとコンサートバンドなんですよ。マーチングはやっていなかったんです、当時は。DCIという一般青少年ドラムコー組織が1972年に出来て、それ以前はVFWとか、いわゆる宗教系、退役軍人会系のドラムコーのマーチングのショーというかドリルコンテストをやっていたんです。昔のそうしたスタイルが最近まで日本でもやっていましたね。

その中でドラムコーというマーチングのスタイルが、当時改めて「コースタイル」というドラムコースタイルのマーチングをやるっていう言葉が出来たけど。それがスクールバンドのほうに入っていってマーチングの普及に拍車がかかった訳。それで、子どもたちは当然動きながらやるマーチングが面白いから、アメリカ中に広まった。だから今アメリカでは、スクールバンドはコンサートとマーチングのふたつやるのが当たり前なんです。そのなかで本当にオリジナルを現存徹底してずっとやっていこうとしていたのがDCIだった。DCIはジュニアでDCAはシニアなんですね。DCAはファミリーで出られる、年齢制限が無いから。現在もオリジナルをまだ維持してGビューグルで活動しているんですよ。だからドラムのテクニックとか、バッテリーというドラムラインの凄さもドラムコーのほうで生まれてきた。要するに基本的なマーチングというのはドラムコーのほうにすべてルーツがある訳。そういうのを観て僕も惚れたし、荻原さんもその辺から始まっていると思うんだよね、アメリカ行って観てきて・・・。

荻原:アメリカ行ったのは1975年。それとは別に関東学院の時か、MB連盟になる前かパレードバンドアソシエーションの時かは定かではないけれど、横須賀のマリーンが6人位で横浜文化体育館で演奏した訳。バリトンとソプラノと太鼓も一人か二人なのにものすごい音量だった。ラッパっていうのはこんなに表現できる楽器なんだと感じた。座って楽に演奏するのではなく、自分の感性をそのままに表現できる楽器、それがドラムコーの、G管との最初の出会いだったね。その当時私は中学生くらいだったんだけど、黒人の迫力ある演奏がものすごくカッコ良く見えて。さっきの話に戻るけど、インスパ作って今年が25周年ですよ。非常に、長いようで短いですね。

横田:そうですね。だから今日、インスパの荻原さんとこうして話が出来るのは25年ぶり。ダイナスティジャパンも25周年なんですよ。ダイナスティのデストリビューターとして日本で始まったときが、インスパイヤーズ結成の年なんですよ。横浜の中華街で、ダイナスティのマーク・シェイファー氏と僕とインスパイヤーズの面々と、いろいろこれからやろうということで、初の宴会をやったのを覚えていますよ(笑)。だから、僕にしてみればインスパイヤーズとの正式な接点はあそこからなのね。だからほんとに古い話だけど。インスパイヤーズはそれで始まっていって、日本のドラムコーの中じゃ、最先端を行く神様的な存在になったんですよ。「ドラムコーなんか音楽じゃねえ」とか「マーチングじゃねえ」とかって言う方がいらっしゃるけど。マーチングじゃないっていうのはおかしいんだよね。ドラムコーがマーチングの始まりだから。まあ、下手なところを見てけなされても文句はいえないけど。でも、そう言ったらバンドだって下手なところはいくらでもあるし。足の引っ張り合いなんかするもんじゃないよね。

荻原:逆にいうと、今の日本でやっているマーチングのほうがマーチングじゃないと思う。変にDCIかぶれしちゃって、悪いところばっかり真似して、それがあたかもマーチングだと理解しているように僕は思うな。今言った25年前から遡っていくんだけど、やっぱり何でドラムコーが好きかっていうと、ブラッドボイルド、血の滾るような。ステーキみたいなものですよ。そのやっぱり、どこって言ったらキャバレロだったよね。あの当時は。

横田:うん、キャバレロだったよね。

荻原:今でも見れば、昔のビデオを見ればさ、

横田:名前を聞くだけで音がでてくるよ。(笑)

荻原:ソリストが前に出てきてさ、ギンギンにプレーしてたりね。ドラムコーっていったら何っていえばいいのかな、音楽的に言えばひとつのショーであるけど、基本は軍隊のミリタリーバンドから始まっているから、そのミリタリーの精神、つまりドラムコースピリットを忘れちゃったらもうドラムコーじゃないですよ。そうでなかったら、普通のオーケストラかステージで演奏すればいいんですよ。

横田:当時、アメリカでも日本でもそうだったけれど、学校が荒廃したから、青少年の健全育成っていうことに規律を教えるマーチングが利用できるという人も多かった。今だって荒廃してるっていえば言えるんだけど、ずっと教育の問題っていうのは、人間生きている限りずっと続く問題なんですよね。どこの国でも。結局、学校でもドラムコーで忘れちゃいけないのが、「ドラムコースピリット」って言って当時知られていたけど、最近言われていないのが残念なんだ。いわゆる「ハードフロアー、コールドシャワー、ピーナッツバター」っていうのがあるんですよ。何言っているのかって分からない人が多いと思うんだけど、「合宿は体育館の床で寝袋で寝なさい」。それと「お湯じゃない冷たい水のシャワーを浴びなさい」と。「食事はパンにピーナッツバター塗って食べればよし」。そのくらいシビアな低予算のなかで、ハードなトレーニングをしていくという。それでいろんな各地を回り歩いていくんですよ。演奏旅行といえば聞こえが良いんだけど、ホテルなんかには絶対に泊まらないですよ。現在でもハイスクールの体育館を借りたり、ハイスクールの庭を借りて練習するだけなんですよ。そうした生活に強靭な精神と体力を鍛えていくと。ボランティアがキッチンカー(料理車)で食事を作ってくれたり。そして自前のバスで数千キロの旅をして、全米各地を訪ねて交流演奏会のようなコンテストをやりに行くわけですよ。原点はそこなのね。それがだんだんとシビアなコンテストになっていったけど。基本はこれですよ。今でも同じです。それを忘れたらドラムコーの存在、マーチング団体の意味がなくなってしまうんですよ。ドラムコースピリットっていうのが。
もちろん音で感動し、演奏・演技で感動し、それがあるから観に来る人も大勢いるんだけど。アメリカ人っていうのはそういうところを彼らの文化として、マーチングとして育てていったんだよ。だから日本でも、今は亡くなられていますけど、東京実業の有田先生は、現役の頃は学生を連れてバスで旅行をして、富山とか北陸のほうまで回って、果ては岡山まで行って、ツアー中でそういう形式のことをできるだけやっていったんですよ。子どもたちに楽器の搬入とか片付けとか、全部そういうところまできちんと躾をやられていた。やっているときは辛いんだけどね、鬼教官がいるようなもので。だけど、それが逆に学生たちにとっては達成感を味わうことになった。

荻原:楽器の片付けもそうだけど、変に今のそれがコースタイルだという風に、上っ面だけ、なめているところがあるよね。本来、ユニフォームを着てからユニフォーム脱ぐまで軍隊なんですよ。指示が下らない限りブレークをしないし、勝手な動きをしない、そういう中で、ああいう厳しい練習を通して良い演奏をする。それがコースピリットなんですよ。一言で言っちゃうとね。

横田:そうそうそう。

荻原:例えばソプラノはキンキンになってキャバレロで3人くらい出てきてやったけど、ドラムはスネアとかで難しいことやったりとか。厳しい訓練を通してのカッコよさ。

横田:誤解を受けるのを覚悟で言えば、カッコよさの一語に尽きるね。

荻原:そのカッコよさを追求するために、厳しい訓練を通して身体からにじみ出てくるカッコよさ。ぶよぶよのオヤジがラッパ吹いたり太鼓叩いたりしてもカッコいいとも思わないよな。やっぱり軍隊の、訓練してしごかれた身体、その引き締まった身体でやるからカッコいいんであって。そういうなかで、素晴らしい演奏をする、超越したチャレンジ精神ですよ。例えば昔のソプラノなんか聞いてごらん。オクターブ超えちゃっていますよ、しかもあれだけ太い音でね。そういうのを普通にやっていたら出ないでしょ。安全運転、セイフティドライブしていたら、リスキーかもしれないが、基本的にハーモナイズするとかそういうものを超越したひとつの表現でありショーなんですよ。

横田:結局ね、ビジュアル的に外から見て行くとそういう風に見えるんだけど、実際音楽やっていくとなると、例えば吹奏楽部だったらチューナー持ってきてさ、1セントがどうのこうの1ヘルツがどうのこうのっていうチューニングするでしょ。でも外で演奏し始めたら、そんなものもっていられないし、繊細な神経でびしっと常に音を合わせられる神経と体力がなかったらだめ。しかも良い姿勢で動き、良い演奏ができるように自分の身体を作って、心身を鍛えてできるようにしていかないと、あれだけの素晴らしい演奏は出来ないんですよ。だから、結局着飾って真似すれば良いのだろうというような根性ではとても務まらない訳。そういうところは良い演奏は出来ないんですよ。例えばブルーデビルスなんかも何度も日本に来ているけど、アメリカで観ても同じなんだけど、規律は良いですよ。それであの素晴らしいジャズの演奏をやっちゃう。教えることは何かというと、リラックスして演奏しろって言うんですよ。だけど日本の一部の先生方でも間違えた人は、結局ジャズをやるときでも叱りながらスイングしろって言うんですよ。そういうのは規律ではないんですよ。

荻原:それもまさにその通りだと思うし、そういうものを通して何を言わんとしているのかっていうのは、みんなのチームワークのパフォーマンスなんですよ。一人一人がそういう努力して総合力のアウトプットとしてどれだけ表現できるか、それがやっぱりドラムコーだと思う。その精神。だから、中には隣、仲間、そういうものを大事にしながら、苦しい練習を乗り越えて、良い演奏をして、達成感を味わう。それがドラムコーなのに何か間違えているんだよね。そこを正さない限り日本のマーチングっていうのは無いんじゃないんかなと思っている。

横田:例えば最近の例で見るのは、できるだけ派手に飾って、ビジュアル的にすごい、いかにも金かけたみたいな衣装をつくって、マーチングのショーでございますっていうのとは原点は違うんだよね。それは、単に自分たちのショーを、最後に思いっきり良く見せたいという意味合いでは理解できなくもないけれど、本質的なところにもっと時間をかけるべきだったんではないですか。自分がチームとして中に入って一緒に揃ってやったときに感動するという音。リズムで言えばビートがあってほんとにパワーが一緒になっていくという快感を味わったら、何着ていたって良いんですよ。もちろん向こうのドラムコーのメンバーにしたって、ユニフォームの扱いだって、帽子の扱いだって、非常に丁寧だしね。「帽子を大事にしろ」「ユニフォーム汚すんじゃない」とか、怒鳴られてやっていることじゃないんですよ。自分たちが努力した結果をそれでやるんだから、そこを大事にするのが当たり前じゃないかっていう感覚がおのずと芽生えるわけね。僕の解釈が間違っていたら指摘して欲しいんだけど、要するに下からつくっていくものなんですよ。上から「こういうショーやるからこうやれ」っていうことじゃないんですよ。アメリカのドラムコーのショーの創り方なんかみても、楽譜はもちろん最初はあるんだけど、コンテも最初にもらうんだけど、合宿重ねて練習していくうちに、シーズンで練習していく過程でどんどんどんどん書き直しが入っていくんです。コンテも直しが入るんです。要するに上から「やれ」っていうもので、これが出来たら終わりだっていうものじゃないんですよ。だから100点満点以上もあるんですよ。アメリカの考え方が特に違うのは、下から子どもたちはいくらでも伸ばして成長させるっていうのが向こうの教育、下からつくるのが教育、育てるのが教育っていうのがある。だからそれを理解しないと、ドラムコーをとか日本のマーチングも将来間違えるんですよ。先生が言ったとおりちゃんとした演奏が出来れば良いというのはマーチングじゃないんですよ。

荻原:要するに「教育、教育」って言っているのがいちばん嫌い。「我々は教育のために青少年を・・・」というのが嫌いな言葉で、そんなことじゃないんじゃないのかな。「教育だ、教育だ」って言う団体とか色々な集団があるけれど、教育と言うのは結果としてついて来るものであり、まず大切なのは何をさせるかということなんですよ。

横田:実際、見えていないんだよ。

荻原:僕が言うのは、要するに帽子の置き方からしても彼らのプライドなんですよ、ユニフォーム脱ぐまでがその世界であって、一糸乱れぬことが出来るわけですよ。しかし、そういうところだけを今の日本のマーチングやっている人たちは格好だけ真似しているように思えるし、又、その精神論や、何をすべきなのかというところまで教えていないと思う。

横田:そうだね。

荻原:そこを横田さんはおっしゃっているんだと思うんですよ。帽子に関してもユニフォームに関しても、靴にしても楽器の手入れにしても、もう言わなくてもそういうことをプライドを持ってやっている。また、それを教えていく。これが向こうは徹底しているわけですよ。それは軍隊のほうから来ているんだけれども、それがドラムコーの良さなんですよね。そういった規律のある団体生活の中で、人間として、と言うのはおこがましいけれども、生き方を学んでいくものあり、また、自我の形成を創る為にコミュニケーションが一番必要なんですよ。全員が一糸乱れないでやっていく、活動していく、苦しいことも乗り越えて、そして最後はチャンピオンシップで良い結果を残すという過程をどうのようなプロセスでやってきたかっていうことが一番重要なんですよ。もちろん人間だから、努力したら良い結果が欲しいし、結果を求めますよ。しかし、同じことを繰り返すけれど、大事なことはそのプロセスなんですよ。簡単に言うと、成果主義なのか経過主義なのか。要するに成果主義というのは会社でいう、最終的に決算を締めてみてプラスにプロフィットが残れば良しとする、悪く言えばどんな経過、過程を踏んできても構わない。しかし経過主義というのは、そのプロセスが非常に大事なんだよと。そのプロセスを踏むことによってお互いのコミュニケーションもとれて、同じ理解のもとに同じ目標に向かっていき、全員の力が魚の骨みたい=フィッシュボーンみたいに進んでいき、メンバーもスタッフも成長していって、そして結果があとについてくるということなんだけど。

横田:それを別の観点から説明すると、コンテストが行われたとして、よく結果をみて「どうしてうちは負けたんだ」とか「どうしてうちは2位なんだ、3位なんだ」とかいう議論がよくある。これって相手がいることでしょ。相手のほうが優れていたら、自分は必ず2位なんですよ。相手がを何やっているか知らないんだから。1対1でやる将棋とか、そういうんだったら話は違うけど。複数のグループでコンテストをやっていたら、もう絶対それは分からないんですよ。コンテストの結果とは、本質的な話と教育的な意味合いでは全然違うんだね。だから、創り方っていうのは自分たちが目指していたもの。途中で「楽譜だって書きなおしますよ」と。「子どもたちに合わせていきますよ」と。成長しているのなら「もっと難しいパーツやりましょうか」とか「面白くしましょうか」っていうのはどんどんやる。一方、そうではなくひとつの楽譜だけでワンシーズンずっとやるっていうのね。これは人間を固定化しちゃうだけですよ。成長の兆しを切っちゃうわけ。ここで吹けるようになったんなら、ここでじゃあこういう風にしてやったら良いんじゃないかっていうフレクシブルなものが無いと、面白さが継続しなくなるんですよ。要は、子どもたちにとってはシーズンが終わるまで楽しむっていうことなんですよ。結果としてそこが教育になるわけ。だから、直し、直し、直し、直しとどんどん入れてくようなことをやらなければ、子どもたちはがっかりしちゃう訳。この教科書に書いてあることだけ、このスコアに書いてある音全部覚えて、全部歩いて何歩で歩いて、これが出来たら終わりだよっていうのじゃない。創るものは自分たちのものを創りなさいよと。そういうところをもうそろそろ日本が考えないと、ちょっとまずいんじゃないかと。マーチングに限らずなんだけど、これは。

荻原:G管の話になるけど、ラッパをここに持ってきて、吹ける人間に外で吹かせたら一目瞭然で、音の太さとプロジェクションの良さっていうのは、一目瞭然ですよ。簡単に音の違いを表現しちゃうと「ティー」っていうのが「ディー」っていう、そんな違いですよ。また、音の伝達性も違うし・・・アメリカの電話さ、あれプーって押すとGの音だよ。(笑)

横田:まず、物理的にはっきりしておかなきゃいけないのはね、Gの楽譜を書かなきゃいけないんですよ。それでベース、バリトン、アルト、ソプラノって4ボイスで楽器が構成されているんだけど、全部Gなんですよ、キイーが。だから、合唱の楽譜と同じなんですよ。その中でハーモニーを作っていく。バンドのようにBとかEsとかFとか、挙句の果てCとかDとかそういうの無いんですよ。よく考えると難しくはないんです。プレーヤーたちにとってはやさしいんです。合わせやすくて。ハーモニクスっていうか音の倍音がぴったりはまっているんですよ。極端な話、弦楽器なんですよ。それから、Gの楽譜は売ってない。これは初めて始める人たちはびっくり。日本でも20年前に普及が始まって、40~50団体が日本中にできた。僕はそのセールスをしてきたけど、結局、楽譜の問題っていうのがいちばん大きいんです。いい楽譜を書く人がいればいい演奏ができる。指導はラッパを吹ける人ならどうってことないんだけど、でも基本的には音づくりの勘(耳)っていうものが日本には全然無いんですよ。マーチングの音作りにはサウンドピラミッドの概念が分かってないと駄目なんですよ。そういう楽譜にすることが大切なわけ。

荻原:だからまず何をやりたいかっていうことが重要で。楽器が無くなるとか、譜面が無いっていうのも状況論であって、否定できないけれども、それは方法論で解決できることなんです。「既成の譜面が無い、どうしましょう」と言って「書いてくれ」と言う。そうしたらPCのソフトウェアで簡単に移調ができる。しかし、そうじゃないんだよね。要するにGの楽器、ツーピストンの当時でも出ない音があるわけですよ、その出ない音をカバーするために、また、今のスリーピストンのGの楽器でもおいしい音域というのがあり、それを活かすアレンジがされないと、本当のGのアレンジにはならない。

横田:マーチングにも伝統があるわけですよ。その上に今の文化があるわけ。結局、マーチングバンドでB管とかF管を吹いているけど、あのフロントベルの楽器っていうのは、全部Gビューグルが模範なんですよ。結局、肩に担ぐチューバとかピストンが上に向いているとか、ピストンが横に向いているのは基本的には設計上は邪道なんですよ。管が横べりしちゃいますから、ピストンは立てなきゃならない、あるいはロータリーにしなきゃいけない。そういう構造のなかで、フロントベルで音を前に全部集めてアンサンブルするという、反響板のない屋外ではフレンチホルンも音を前に送る。昔、パレードバンドが来ると行進曲のフレンチホルンの後うちの「ンパ、ンパ、ンパ」っていうのだけが後から聞こえてくるわけだ。そういう世界じゃない。全部フロントにしていくというビューグルの世界の伝統が、マーチングブラスの世界に全部賢くもそれだけは引き継がれてきた。サウンドピラミッドが変わっちゃうからね、音の指向性も。DCIがなぜ近年GからB管に切り替えることを認めたかっていうと、アメリカではドラムコーがマーチングを創ってきたのであって、そのなかで大学の教授や音楽の先生たちが、そこで働いてきたわけですよ。曲書いたりとか指導で。そういう先生方との交流が始まって。それで、スクールバンド向けになっていって、結果的に結局DCIのほうが学校の状況にあわせていった訳。ドラムコーという観点でいけば、ドラムラインのバッテリー。あれはドラムコーが発明したわけ。結局ほかには無いんですよ。あそこで培われた技術は逆にアメリカではバンドのプレーヤーにはすごい役に立っている。例えば、メーナード・ファーガソンとか、ドラムでいえばスティーブ・ガットとかそういう超有名な人たちにでも、みんなルーツはドラムコーなんですよ。ただ情熱的に音楽のジャンルとしてひとつ捉えるっていうのも、僕は正当な考え方だと思うね。マーチングっていうのは面白いもので、作品内容にルールが無いから、弦楽器入れようとか、エレキ楽器を入れようとか、いくらでも議論があるんですよ。マーチングのショーっていうのはとにかく面白くして行けば良いっていうふうに展開が始まっている訳。次の第2世代がBに変わってコンサートバンドの楽器と合わせてきたっていうのがあるとすれば、次は弦楽器が入るとか、エレキが入るとか、そうなってくると第3世代に行っちゃうんですよ。日本でもこの間ブラストがうけたとか、ああいうステージでやるようなグループとかそういう要素だって出てくる。発展性っていうのはそっちに行って良いと思うのね。ただ、それがあるから過去はだめ、とか、Gのビューグルはだめだという理論は成立しないと思うんだよね。

荻原:さっき言ったように、Gの良さっていうのは音域的においしい音域を使っている訳ですよ。試しにその音域をB管で吹いてごらんっていうの。アメリカ人好みの熱い曲をやった場合はBよりG管のほうが良いですよ。ましてやフィールドでやったら歴然として違いがでてくる。例えば、スポーツカー乗って、街中をとろとろ走っているんだったら同じですよ。つまりそういう吹き方をするんであれば、サーキットでその車の限界域のパフォーマンスで走る。つまりそのようなパフォーマンスで演奏するのであれば、違いはでてくるということで。日本のマーチングの話に戻るけど、本来、マーチングはアウトドアですよ。だから、日本でマーチングを発展させようと思ったら、外でやることが大前提で、まして昨今は大編成の団体が多く、あんな狭い箱の中で演奏したり動いたりして、適正かつ十分なジャッジなんかてきる訳が無い。音と音が干渉しあい、ぶつかりあって、雑音ですよ、あれではマーチングの良さは表現できないし、聴衆に対してマーチングの良さというものを十分に魅せることができないと思う。もちろん、日本の現実的な問題がありますよ、雨も多いし、お客さんを呼んでお金を取る以上、万が一雨が降ったときのためにインドアでやらなきゃいけないっていうこともあるけれども、やっぱりマーチングの良さをアピールするのであれば、フィールドでやらなかったら、音楽的にも動き的にも良いものは見せられないよね。

横田:それとね、野外というと、アウトとインドアで、結局もちろん昔の武道館より埼玉アリーナのほうがはるかに環境的には良くなりましたよ。これはもう大賛成なんだけど。音的に良くなっているから。ただ、依然インドアであることには変わり無くて、音作りっていうのは違うんですよ。ビューグルの世界だと、さっき言ったようにコントラバスからソプラノまで、全部Gだから、音作りが全然違う。基本的には簡単って言ったら簡単だけど、簡単がゆえに時にはパイプオルガンのような響きだって求められるね。素晴らしい面白さがそこに出てくる。マーチングをやると音が悪くなるっていうのはそれは指導が下手だから。ちゃんとした指導をすれば、基礎をマスターすれば音は良くなります。知らないで外でいきなりやったら、インドアの楽器持ってきて外でやったら音はめちゃくちゃになっちゃいますよ、そりゃあ。楽器が違うんだから、元々ドラムコーっていうのは外で吹くようにできている信号ラッパですから。ルーツが全然違う。野外でやるこういう音楽っていうのは基本的には本能的なものだと思う。そういう面白さっていうのは、日本も忘れちゃいけないと思うんだよね。

荻原:だから、今の人たちっていうのは、年代的にもインドアでやるマーチングしか知らないんだよね。お客さんも同じでね。スポーツカーが本来のパフォーマンス領域でドライブするような、そういった演奏というものも今の世代の若い人たちはほとんど知らない訳だし、だからみんなもう安全運転の世界でやっていて、そういうのがマーチングだと思っているから。別の言い方をすれば、そのような歩み方をしてきたのだから無理も無いけれど、今、本来のマーチングの良さを知っているのは、昔、アメリカにDCIを観に行った人達とか、勉強しに行った人達とか、つまり我々の年代だね。ドラムコーとマーチングの違いを色眼鏡をかけて見ている訳でもないけれど、現実的に、ウサギ小屋の中で、日本のマーチングを良くしようと思うのであれば、審査の問題もあるけど、まず外でやることですよ。そして良い指導者ですよ、アレンジャーと。勿論、DCIに行って勉強したりしている人たちがだんだん増えているわけですから、大いに期待しているんですが。

横田:審査イコール評価なんですよ。あそこで汗流して一生懸命がんばってきた子どもたちを、そこでラベル貼っちゃうわけですよ。それだけに何でそのラベルなのかっていう説明が無きゃいかん。そういう意味ではアメリカは成熟しています。だから僕は15年前に岡山でDCIの審査員を呼び始めたんです。国際水準の審査員をちゃんと呼んで審査をしてもらいたいと。そういう正当な評価をすることで活動が続くんだっていう信念があったわけね。音大の教授とかそういう人たちが来ますから。音楽として見ますし、楽器の特性もよく判っているし。そういう人たちに見ていただく。ワンシーズンで50以上のコンテストの審査をするようなエキスパートです。日本ではコンテストの審査制度がないがしろにされているんですよ。コンテストの審査制度では審査員を審査する制度が必要なわけ。DCIでは審査されたほうの代表者で作る理事会で審査結果を踏まえて審査員を再評価するんです。日本はまだまだ研究していないよね。だけど幸いにも岡山で15年前に始まったし、DCJももちろんそれでやってきてるし、積み上げてきているわけですよ。正当なアメリカ人の審査員とか日本の若手の審査員の育成も始まってる。本来的に言うと、日本のマーチングっていうのはそういうところに全て原因があると思うね。まあ、わたしも25年以上やってきて、数にしても加盟団体数、あるいはコンテスト参加団体数とかっていっても、日本全体が成長していないんですよね。全然伸びない。なぜかっていうとコンテストの審査がだめだからなんですよ。

荻原:DCJが出来たのはその理由ですよ。要するに1年間かけて作り上げたショーに対して、正当な審査を受けたいという考えで。その為には同じ道具をもって、戦争じゃないけれど同じ武器を持って、戦える土俵の中で、正当な審査を受けたいということで。だからDCJはG管に制限して、審査もアメリカから招聘し、又、日本人の審査委員会を作って、審査に重点を置いてこの15年間やってきているわけでよ。

横田:この間、味の素スタジアムでDCJがやった画期的なことは、エニーキー部門を作ったこと。Gやっている連中と、他の、極端に言えばスクールバンドやっている方々です。その人たちにもその評価を味わって欲しいの。そういう場所として提供したじゃないですか。あれはもう大英断ですよね。

荻原:ここ15年、外でやらなければだめだとずっと言い続けているんだよね。まあ有言実行じゃないけれど、これがマーチングの良さだよということを示したつもりだし、やっとできたっていう気持ちでいるけれども。今度は中身の問題だよね、つまり、これからもっと盛り上げるためにも、さっきの話じゃないけれど、各団体が何をやりたいか、というとこにかかってくると思うんですよ。

横田:例えばひとつ例を挙げると、マーチング協会のコンテストの場合、ドラムコーばっかりでGでビューグルで吹いているところが出た。そのあとに別の団体が、オーボエを吹くとか、クラリネットを吹くとか、あるいは弦バスが出てきちゃうとか、そういうのと一緒に競争させるわけですよ。これはね、僕は、邪道だと思うんだよね。

荻原:アメリカはアメリカで良いんだけど、正直言って、今のDCIにはあまり魅力感じていないし、さっき言った、最近のDCIは、チャレンジ精神が薄れているよね。ただ安全運転で、点取り虫に走っているんですよ。如何に合わせて、如何にして良いスコアを取るかに注力していて、それじゃあ、本来のドラムコーのスピリット、チャレンジ精神っていうものから外れている思うし、それを真似して追っかけているのが今の日本のマーチングですよ。

横田:もちろんアメリカでもあるんですよ、その批判が。荻原さんのいう批判がそのままアメリカでもある。今のDCIのショーのコンテストっていうのは、何のためのコンテストだっていうのが。トップ4つ5つが、金かけて、トップグループはすごく恵まれているんですよ。他の5位6位以下のグループとか、たくさんあるけど。そのグループの人たちは大変なんですよ。日本の場合は、バラエティーショーになってるわけだよ。編成にこだわらないで。肯定しているわけではないけど、オーケストラみたいなところと、Gビューグル吹くところが一緒にコンテストに参加して良いのですかという問題がある。これは、できるだけ早い段階で分けたほうが良い。分けて同じ土俵で勝負するべきだよ。例えば似ているからといってごちゃごちゃにしてはいけない。分けると参加団体が少ないからという心配があるが、逆に分ければ秩序ができて安心して参加する団体が増えるというメリットが出てくるはず。だからDCJはDCJのポリシーを維持していく、DCJの場所がひとつ出来ているんですよ、ドラムコーの。オールブラスでやりたところのG以外のエニーキー部門の場所が用意されているわけ。だけど木管も入れますというのであればアメリカのBOAだよね。BOAみたいなところは、別に場所があっていいじゃないですか、日本に。事実コンテストとか銘打っている大会は結構あちこちにあるんですよ。岡山ではGからフロントブラスならOKということになったけど。

荻原:さっきのDCIの話に続きになるんだけど、DCIは本来のドラムコーの動きではないなと思っているし、それは、向こうでの資金的な面というものも大きなファクターだと聞いているし、エニーキーになったけど、また、DCAのマーケティングの人も「俺はエニーキーになったことは不本意なんだよ、荻原」って言っていたけど。何を言わんとしているのかというと、必ずしも今のDCIが進化形じゃないと思っている、理想のね。

横田:結果的に、今、ステージコンテストとかというのも始まっているし、それは何をみなさんが求めているのかっていうと明らかなんですよ。シアターでやるようなテアトリカルなショー、ブラストのようなショーとか、ああいうものが日本のステージコンテストでいろいろ団体が出てきて繰り広げられるようになったら、それは面白いと思うよ。また逆に、例えば鼓道のドラムばっかり、和太鼓ばかりを大中小みんな出してきて、それを沖縄のエイサーじゃないけれど、持って動いてドリルやってみたりしたときに、それをどういう審査で打楽器の審査員はやるんだろう。今までもたくさんの質問が出てきた。木管と金管と弦楽器も出てきますよとか、そういう段階ね。電気製品は使っちゃいけないとか、そういう理論もあるし、どういう風にはめていくのか。どういう風に対応していくのか。これって学問なんですよ。規制とかで禁止すればすむことではないんです。すべて研究する対象なんです。あらたな可能性も生まれるのですから。

荻原:あとは、財政的に恵まれた団体と、制限された学校団体と、個人的な団体といろいろあるけど、武器を制限してあげて、そのなかで戦って白黒つけてあげるべき。人数制限もちゃんとすべきですよ。無制限なんてありえないですよ。同じ土俵の中で戦ってみて、初めて、色々なものが見えてくるのではないでしょうか。

横田:例えば、ある県の教育委員会の人と話をしたことがあって、僕は前から持論で言っているんだけど、小学生に5メートル8歩でやるという規範をもっていくというのは間違っていると。小学校の体育館はそんなにでかくないですよ、例えば4メートル8歩でもいい、足のサイズに合わせて現実に即して小学校のマーチングが栄えるようにするべきじゃないのかって、ずっともう10年以上言っているんですよ。ある県教員の先生は目から鱗だって。何でこんなばかみたいなことに気が付かなかったのかって。びっくりしていましたよ。何で大人の競技場で子供に同じルールでやらせるんですか。挙げ句にコンテストで大人みたいなことが出来たところが上手いっていうんでしょ。これでは一頃栄えた小学校の金管バンドは衰退するだろうとわたしは警告していたのですよ。残念だが事実そうなってしまった。もちろんこれからでも協会の中に小学校の先生が小学校部会を作って、小学校の部はラインもマークも変えるようにしたらいいと思います。

荻原:本当にそうですよね。大人びて、ませたことやって、上手じゃないか、って、それは違うって。確かに彼らがやっていることも良いですよ。でも、小学生に合わせた土俵で、小学生用のルールでやるべきで、ちゃんと採点をしてあげることが筋だと思う。教育的配慮というけれど、金、銀、銅の賞もないよね。

横田:もう1回原点から洗いなおさないとだめだろうね。僕が一番言いたいのは、地域から良くしましょうっていうこと。自分のローカルな県のレベルから良くしていきましょう。強いて言うと自分の団体から良くしていきましょうっていうところが原点ですよ。そういう積み上げが出来ていくと、県単位でも盛り上がってくるんですよ。審査のことを勉強すれば、どうやって子供たちが上手くなっていくかって書いてあるんだから。その通りにやれば本当に良くなっていくんですよ。だから、それをやらないで、あの先生に良くしてもらいたい、とか、この先生に良くしてもらいたい、個人的な考え方でどうのこうので、そんなので点数が動くような世界だったらコンテストはやめたほうがいい。

荻原:自己保身に走ったらだめ。何でも自分のやりたいものをどうしたらできるか、考えることはいっぱいありますよ。やっぱりその中で何が大事かっていうことは考えないと。審査で1番になったところが必ずしも良いショーをやったとは限らない。これは、力説したいんだけど、そのギャップを埋めていくことが大事で、それが、その集団の伸びていく方向性を示していくのだから。つまり、その集団の方向性に合わせて審査マニュアルを作っていくことが大事で、そのギャップを埋めていくことが、その集団の発展に繋がっていくわけですよ。何をやりたいのか具体的にどういうバンドをモデルにして、どういうものを求めていくのか。要するに、その集団の色を出すことですよ。確かに、B管が主流ですよ、しかし、肝心なことは、何をやりたいのかっていうのが先でしょ。そこをまず見極めてからじゃないと次のステップには行けませんよ。今のDCIの歩みが必ずとも正しいとは言えないわけですよ。必ずしも感動する?10年前20年前のショー観て感動しない?20年前のギンギンギラギラのビャービャーやっていたのを今やったら、みんなにブーイング受けますか?逆だろうに。そこを何で「G管はもう古いですよ」「オールドエイジですよ」「いやB管のほうが新しいですよ、トレンディですよ」って言うわけ?

横田:結局マーチングのショーのコンテストに限らなくてもいいんだけど。例えば自分の子どもが出ていたら、上手い下手なんて関係ないんですよ。一生懸命やっててくれたら、そこが一番なんですよ。だからコンテストでは意外に一般の客からブーイングが出て、こんな結果じゃおかしいというのも出るんだけど、皆さんおとなしく帰るのはそこなんですよ。基本的にマーチングを支えているものっていうのは、自分たちがやりたいショーをやり、自分たちの団体がほかより素晴らしいって言うのが親なんですよ。またその地区の聴衆なんですよ、ファンなんですよ。

荻原:DCJだって及ばせながら15年間頑張ってきて、やっぱりその精神は貫いていると思う。それを取り巻く日本のマーチングっていうものが、そういうところには入り込んできていないというのが現実だし、烏合の衆のなかで何を求めるのか、フリーズした状態できているのが現状じゃないの。マーチングっていうのも、さっき言ったけど、各団体が主体性というものをやっぱり持つべき。各団体が何をやりたいか、どのようにやりたいのか、もっと主体性がでてくると、いい方向に発展して行くと思うんだけど。

横田:そういう意味で言うと僕だって岡山でDCIの審査員をアメリカから呼んで新しく始めちゃったからね。例えばやっていない人から見れば対岸の火事ですよほんとに。「火事だな、遠いからいいよ」って・・・言ってるだけじゃだめなんですよ。現実に行動を起こして示していくことが非常に重要なんですよ。

荻原:だから、良さを示していくために、どうあるべきかっていうのは、DCJも、マーチングは外でやらなければいけないということ。その良さを示さなかったら、お客もそうだけど、リクルートだって、俺もやりたい!っていう人も出て来ないですよ。

横田:昔、フルートを勉強していた頃、先生のところに個人レッスンに行って、ブラバンのように座って演奏して良いものだと思っていたわけ。そしたら、「何で君、座るんだ」って。「フルーティストはリサイタルのときは立ってやるんだ」って。「椅子に座って吹くバカはいないよ君」って言われたのね。ああ、そうですねと思って。それじゃあ、いい姿勢いい呼吸で全部全身丸見えでステージに立って吹かなきゃいけないんでしょ。これ、マーチングの基本なんですよ。だったらマーチングを採用して、どんどん吹奏楽部の方々にもそれを認識してもらってやってもらいたい。で、綺麗に歩ける。モデルさんが歩いているように背筋を伸ばして綺麗に歩いて、いい呼吸法を腹式呼吸をしてちゃんと出来るように教えるのがマーチングだから。だから、格好だけで入ってマーチングだって言ってたら、ユニフォーム買えばマーチングみたいだという人がいるかもしれないけど、それも悪くはないけど、本質をちゃんと見て欲しい。

荻原:カテゴリーも分けて、マニュアルも小学生は小学生のマニュアルをつくればいいんですよ。やることはいっぱいあるって。どうしたら良くなるか皆で知恵を出し合って考えることだよ。これをやりたいから、自分たちはこうしたい、だから頑張る、それが無かったら絶対変わらないよ。

横田:もうひとつ言っておきたいのは、マーチングっていうのは、全国統一したショーをやるものじゃないってこと。例えば、ある連盟の方と話したときに、昔のやり方でコンテストをやっていた。そしたら全国どこ行っても同じコンテでやってんじゃないかって。これじゃあ面白くないよってことになった。確かにその通りなんです。コンテストでやる以上、また、フェスティバルでもいいんですけれど、マーチングのショーって人と同じ事をやっちゃだめなんですよ。自分たちのグループは違うことをやるんだって。少なくとも同じ楽器編成でも違うショーをやりましょう。音楽っていうのは個性の主張から始まってくるものだから、そのバンドの個性を出さないとだめですよ。だからマーチングのコンテストで言えば審査員を大いに悩ませなくてはいけない。あともうひとつ言いたいのは、日本の音楽、マーチングを発展させるためには日本の曲を書く人がいないとだめです。日本人の音楽は日本人の音楽としてあるんですよ、厳然として素晴らしい曲。昔、例えば、大洗高校が「川の流れのように」をやった。大ウケでしたよ。涙が流さんばかりに喜んでいた人たちがいる。アメリカの楽譜を売っている立場でそういうこと言っちゃ悪いんだけど、その曲をやっても親御さんは知らない。で、ほとんどの親御さんが応援に来て「頑張れー」ってやっているけど、この曲何やってんの?って。果てはオリジナルに至ってはさっぱり判らない。著作権から逃れるために聞いたこともない曲だ、と。著作権については協会がもっと親身に面倒見ないと。ひとつにはマーチングをこれから発展させよう、ショーをもっと一般の人に受け入れてもらうようにするには、J-POPなどは、日本の誇るジャンルだからね。ああいうジャンルでもいいから、それをアレンジして自分たちなりにやって欲しい。そうしたらもっともっと日本のマーチングのショーは面白くなってくる。人気が出てくる。もちろん編曲法は編曲者がアメリカ並みに勉強してほしい。著作権料は払えばいいんですよ。払って、見てくれる人を捜さなきゃ。

荻原:要するに、何をやりたいか、繰り返すけどさ。どういったものをやっていきたいとか独自性を各団体がもっと持って欲しいよね。審査の1番とショーの感動を得た1番とは違うんだよ。

横田:そう、そこそこ。

荻原:じゃ、何をやりたいか。どういう感動を求めるのか。それをやっぱり共通認識として各団体がまず持つべきだよね。審査マニュアルはそれからだよね。それも無しに「審査どうのこうの」「マニュアルどうのこうの」って調整しようが無いじゃない。学校教育だってことを言うんだったら、さっき冒頭に言った「コースピリットとはなんぞや」ということから紐解いて教えていくことが、やがて10年後20年後に実って来るんじゃない。

横田:日本人は口癖なんだけど、音楽聴くと「これ上手いね」とか「下手だね」とか言う。「上手い」とかって言葉を使うんだね。でも自分が好きか嫌いかで良いんですよ。自分が好きな曲をやっていたら下手でも嬉しいじゃないですか。それが音楽の原点なんですよ。だからショーっていうものは、みんなに愛される、みんなに好かれるようなショーを創っていく。もちろんそうじゃない人もいるでしょ。「俺の書いた曲をぜひとも聴かせたい」って人もいるでしょう。それはそれでいいと思う。いろいろなバラエティーがあって良いと思うんですよ。その多様性を認めていくというところに、ショーや、コンテストは面白さがあるから。だから一概におっしゃるように審査方法でがんじがらめにして、今度は逆に日本人だとよくやる手なんだけど、ぎちぎちに決めちゃうんだよね。ほんと、歩幅何センチとかさ、スクエアサイズはこれで何歩でこういう規定をいれなきゃだめとか、がんじがらめに縛りにかけるわけ。そうすると面白くないんですよ。だから男子が増えないわけ。みんな同じになっちゃうから。そしたら破滅です。「好きな音楽やりなさい」「自分たちの個性を出しなさい」「自分たちのバンドは何をやりたいんだ」っていうのを出しなさいって。それで先生も中心になって苦労してって譜面も書き直して一生懸命作り直して、生徒たちも一緒になって作り直していくってプロセスが面白いんだから。それをやっていって結果が2位だろうが3位だろうが、お客さんが喜んでくれればそれでいいんですよ。

荻原:さっき言った、経過主義だけど、コミュニケーションをとりながら良いショーを創っていくことが重要だよね、日本は今まだ少ないよね、そういう形っていうのは。中小企業のオヤジみたいな形で創ってる。それではより良いものが出来るわけないよね。途中で修正できるわけ無いよ。時間も人も無いんだから。恵まれていないんだから。日本のマーチングをどうするのって「音楽とは何ぞや」ということですよ。音楽とは何ぞやって、いかにして観客を感動させてなんぼの世界ですよ。だからこれは間違えて欲しくないのんだけど、審査の1番2番というものは結果としてついてくるものであり、そこまでの過程としてどういう歩み方をしてきたかが重要であり、苦しい練習を通して結果としてどういったショーが出来たのか。自分たちでプロセス毎ににどれだけの努力をみんなで力をあわせて創ってきたのか?これがひとつの喜びなの。これと、結果主義の喜びの両方があって初めて最高の喜びなんですよ。だから、ただ踊らされて「良いショーをやってきました」「良いアレンジャー・インストラクターをアメリカから呼びました」「良いショーができました」結果的に審査として良かったのかもしれないけれど。だけども、他力本願的なものに対しては喜びって、結果だけをとって結果主義で評価した場合、良いものができても喜びは少ないよ。その経過に我々内部の人間が力をあわせて創り上げてきて「ここは良くないね」「ここ変えよう」とかそういった苦しみながらやってきて、良いものを最終的に創り上げたという達成感の喜びがあって初めて良いものが出来てくる。そういう歩み方をしてきて始めて次世代が育ってくるんですよ。ただアメリカ(外部)から指導者を呼んで良い指導を受けたとか、それでは次の世代が育たないし、自分たちが現場に入って、自分たちでもがきながら、どういうふうにすればショーが良くなるのかとか、試行錯誤を繰り返して初めてアレンジャーとかインストラクターが育ってくるんだよね。さっき言った、経過主義と結果主義、この2つをやっていかなかったら日本の将来は無いです。音楽とはなんぞやといったら「如何に感動させるか」それだけです。同じフィールドで、同じ武器を持って戦うわけだけど、フィールドとして野外を選ぶのであれば、それなりのやり方で良いものができるんじゃないかな。まずそういう風にすべきでしょ。だからまず「何をやりたいんですか?」「どういったモデルバンドを目指してやりたいの?」。じゃあ、その為には現実問題として編成の問題、楽器の問題、場所の問題、それをどうやってクリアしていくの? 

横田:アメリカでもビューグルは衰退期に入っていますね。アメリカはとにかく減っていますよ。ところが、ヨーロッパは増えているんですよ。要するにDCE(ドラムコーヨーロッパ)があるの。南アフリカとかはドラムコーばっかりですよ。マーチングやっているのは。東南アジアも増えているんですよ。結局ドラムコーのやっていることに、荻原さんの最初の話じゃないけれど、「あれは面白い」と。DCIの真似っていうんじゃないんですよ。要するに独自のスタイルでああいうものを創り出しているっていうことで始まっているわけ。まだまだビューグルは、日本じゃ売れないけど、外国では売れているんですよ。日本のマーチングは少量多品種になるでしょうね。ファミリーレストランだね。

荻原:現実に楽器屋の立場から言えばそうなのかも、現実論で言えばね。だけどヨーロッパの審査システムは、インドア用とアウトドア用の2つの審査マニュアルがあるんですよ。日本もそうするべきですよね。

横田:日本はね、ひとつ考えられるのは、この間、東急文化村でのブラストをちょっとお手伝いさせてもらって、東急文化村は、あれがあまり成功すると思っていなかったんですよ、最初は。でもやったら、東急文化村始まって以来の大利益を上げたわけ。あのブラストで。だからマーチングのフロントベルの楽器持ってやるのもいいし、旗振るのもいいし、ステージで。それを工夫してやれば、シアターでも十分観られるものができると。そういう頭を使うことに子供たちも協力して、子供たちもアイディアを出してやっていったら面白いものが出来る。

荻原: 最近のDCIは、昔と比べると、今のアレンジは音域を下げちゃって。安定感を狙って、点取り虫に走っているわけだよね。だから、動きながらでも、音がひっくりかえるようなことにならないしさ。そういうような吹き方をしていくんであれば、まあ、さっき言ったようにスポーツカーみたいな運転はしない訳だし、街中とろとろ運転なわけだから。そうなってくるとビューグルもいらないのかもしれないね。だとしたら、B管のほうが入手性に於いても良いわけだからそっち選ぶわな。だけど、それが果たしてドラムコーの進むべき道だったのかっていうのは、俺は非常にクエスチョンなんだけと。このことは、アメリカのドラムコーの人間なんかと話してみても同じ考えの人が多いよね。

横田:「ビューグルの世界をこれから伸ばすんだ、もっと音楽を面白くしていくのだ、ビューグルの音楽を」っていう風に考えていくと、ビューグルのブラスサウンドを作ることのできる人を養成していくってことも大事なことなんですよ。それがいなくなると、殆どBでもGでもいいじゃないかってみんななっちゃうから。逆に言って、コンサートの人が、マーチングバンドのあれをやって上手くまとめられるかって、それもまた疑問なんですよ。じゃあ、マーチングでいくら上手いからってオーケストラで吹けるかって、そうでもないんだよね。じゃ、オーケストラの人がマーチングをやって、打楽器の人でも極端に違う。ロールひとつ叩けないからね。

荻原:まぁー、所詮、どれだけ技量があり上手い演奏ができるかということになるわけだけど。

横田:もちろんね。ブラスで、要するに吹奏楽のメンバーでも、ブラストのメンバーにはマーチングやっていない人もいるわけよ。吹奏楽でもコンテストに出てくると、吹奏楽で上手いところがあるじゃないですか。それが綺麗な動きを覚えてきちっとやられたら、これは強いですよ。もう良い音出しているんだから。そういうマーチングならマーチングのやり方を吹奏楽がやってくるとそれはすごく強いマーチングバンドになる。日本独特っていうのは、最初の目標にしたらいかんと思う。結果そうなると思う。

荻原:しかし、日本は、これからですよ。

横田:結果がそうなればいい。日本人がやるんだもん。でも日本人はよそ の民族より優れているみたいな魂胆があるんだとしたら、それは間違いだよ。他の民族だって素晴らしい民族いっぱいあるんだから。日本人だってマーチング始めたのはアメリカでマーチング素晴らしいのを観たからじゃない。日本人のマーチング・・・平ったく言えば、吹奏楽界のあのすばらしいサウンド。あれをマーチングバンドは一日も早く取り入れるべきだし。逆に吹奏楽の方々がマーチングをやるときにはマーチングから全身で感じるおもしろさも勉強しなくては。今日本のマーチングのドラムコーもマーチングバンドもビジュアル面すごく成長してきたよ。ドリルにしてもね、ショーの創り方にしてもカラーガードにしてもすごく上手くなってきた。あれをハイスクールのコンサートバンドがマーチングをやりたいと言ったら、あれもやっぱり子供たちにやらせてほしいね。それで上手くなってくる。心身共に鍛えてそういう風にしていったら、本当に面白いものができてくると思う。それで題材は何をやってもいい、みたいな感じで。もっとお父さんお母さんが喜ぶ曲をやってくれよと。というのが僕のいちばんの願いだね。コンテストでは一位以外はみんな勝てないのよ。あえて言うと。みんな勝てないんです。でも負ける団体がいっぱいあるからコンテストは成り立っているわけ。そのほとんど勝てない人たちにあなた達は入っているんだから、自分たちの個性を認めてもらえるようにするのが最大の仕事だよ。負けてく人を大切にしないとコンテストは成長しないわけ。

荻原:ドラムコーと関係ないようで大いに関係あると思うんだけど、音楽っていうのは、ベートーヴェンが言ったのかな、要するに今の音楽、音大出の人っていうのは良い演奏、テクニックも上手いですよ。だけど、それはみんなハンコで押したように同じような弾き方をするんですよ。だけど、否定しているんじゃなくて、彼らの演奏っていうのは非常に安心感を与えるし、リラックスでき、音楽を聴いているという点では非常に心地よいわけだ。しかし、それは音楽じゃないよと。音楽とは、如何に弾き手の感情とかそういったものを聴衆に伝えられるかであり、固定した弾き方とかそういうのは無いのだよ、曲はあくまでもそれは材料であって、その材料を使って如何に感動できる演奏をするか、それが音楽だってね。だからその音楽性、音楽性っていうことだけ追求してしまうと、おかしいことになっちゃうし、本来のマーチングの良さっていうものも見失われちゃう。音楽性だけ追及しているんだったら、ステージバンドとかオケでもやればいいんじゃないの。もっと良い音色を聴かせて。良い条件のなかで。良い反響のなかで。だけど、我々がやっているのは紛れも無くマーチングなわけだから。マーチングっていう武器を、題材を選んでどうやったら感動させられるショーが出来るのか。ここを考えていかないと、そして焦点を合わせていかなかったら良いものは出来ないし、良い集団もできないし、良い人間も育たないと思いますよ。結果を先にもとめたらダメだよね。

横田:25年を振り返ってみても話はまだまだ続きますね。これからも。

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