夏井 洋平/Yohei Natsui
Drum Corps Fun vol.5(2010年4月30日発行)に掲載
鼓和-core- リーダー/アレンジャー/インストラクター
夏井 洋平
学んだこと、経験したことは大変貴重なものでした。
音楽をはじめたきっかけは、小学校の低学年の時に通っていたピアノ教室でした。2年~3年ほど通い続けた後、ピアノ教室の先生が引っ越してしまったこともありピアノとは離れ、スポーツに注力していました。
中学入学後も、当然のようにスポーツ系の部活に入るつもりでしたが、たまたま誘われて見に行ったマーチングバンド部の演奏に心打たれて、すぐに入部を決めました。
それが関東学院マーチングバンドでの生活のスタートでした。担当はドラムラインのセクションです。学校が中高一貫教育、マーチングバンド部は中学・高校合同ということもあり、結果的に6年間部活を続けました。
中学3年、高校2年生の時には部長というポジションを任せていただいたことや、2年連続の関東大会落ち、引退年の高校3年生でのグランプリ受賞、スタッフの先生方の組織変更など本当にたくさんの事がありましたが、その分それらから学んだこと、経験したことは大変貴重なものでした。
大学の講義が終わってから急いで空港に行き飛行機に乗ってアメリカへ。
卒業してからは、母校の指導をお手伝いさせていただきながら、高校1年生の時から思い描いていた、アメリカに行ってマーチングをしてみたいという思いを実現するために、いくつかのチームのオーディションに行き、2003年の1シーズンを「PioneerDrum&BugleCorps」で過ごしました。今回のインタビューにも出ていますが、今、活動している鼓和-core-を一緒に立ち上げた大窪研二くんともこのドラムコーで出会い、共にスネアドラムを担当していました。僕は、日本で大学に通っていたこともありオーディションに合格してからは、毎月1回のキャンプの度にアメリカに通っていました。木曜、金曜の大学の講義が終わってから急いで空港に行き飛行機に乗ってアメリカへ。到着したら、すぎに練習スタート。そして、キャンプが終わり、帰国後は大学とアルバイトの日々でした。そして1ヶ月後にはまたアメリカに行くという今考えたらとても無茶苦茶なことをしていたと思いますが、今考えてみると当時は当時でそれがベストな選択だったのだと思います。そんな経験や周りのサポートもあり、行動力や思考力といったものも身についていったのだと思います。アメリカでのシーズンはとても楽しかった反面、練習は厳しかった思い出があります。何回か日本に帰りたくもなったりしましたが、それ以上に環境や日々の生活の充実度、楽しいという気持ちで満たされていたので無事シーズン終了まで続けることができたのだと思います。
何か違った形で活動していく流れを作りたい
シーズンを終え日本に戻ってきてからもまだドラムコーを続けたいと思い、同年の冬にまた渡米をしました。結果的にそのチームのオーディションに落ちてしまったこと、また大学の単位の関係もあり翌年は渡米しない決断をしました。しかし、まだまだドラムを続けていきたいと思い、2004、2005年と地元横浜の横浜インスパイヤーズに参加しました。インスパイヤーズでの2年間も想像していた以上に多くの方々との出会いがあり、とても充実した2年間でした。
そして2005年、僕にとってインスパイヤーズでの2年目のシーズンの終わりが近づいてきた時、今後ドラムを続けていく上で自分がどのような活動を行っていくか?というのをいろいろと考えました。というのも、ある一定の人数の中でマーチングパーカッションを続けていくのであれば、基本的にはどこかのマーチングバンドやドラムコーに所属し、大会に参加しながら1シーズンを過ごすといった形が一般的です。マーチング自体は素晴らしいものだと思いますが、大会に出るために練習を積んで、人に審査されてというだけの流れ以外にも何か違った形で活動していく流れを作りたいという考えがその頃から頭の中にあったのだと思います。例えば、日常で触れる機会が多い、ポップスとかロックバンドのように万人ウケするような場で自分たちの培ってきた楽器でのパフォーマンスを継続的に披露できていけたら、素敵だなーと思っていました。しかし、そのような環境はもちろんありませんでしたし、自分の中で日に日に実現したい気持ちが高まってきていましたので、まずは一つの形としてグループを作ってしまおうと思い、立ち上げたのが「鼓和-core-」です。楽器の問題やメンバーの問題など多くの問題がありましたが、グループのコンセプト、目指していく部分など1つ1つクリアにしながら実現へ向けて動き出したのを覚えています。
「鼓和-core-」を立ち上げてからは、早いものでもう4年が経ちます。もともと大会などには参加していく予定はありませんでしたのでパフォーマンスグループとして、どこまで続くか?また何を目指してやっていくか?といったことに対して日々悩んでいましたが、今はその悩みはありません。素晴らしいメンバーにも恵まれ、目指していくところも、どういうグループでありたいかという点もこの4年で見えてきました。これは続けているからこそ見えてきたことでもあります。先月2月14日には、この4年間の集大成でもある「Drummer’s High」という初のライブショーを終えたところです。パーカッション中心のライブショーにも関わらず、ショー・パフォーマンスに「感動した」というお言葉をいただき本当に嬉しく思いました。
周りとの協調性を保ちながら、自分のやりたいことを表現して、 これからもたくさんの方々との出会いがあればと思います。
「ティーチング」「コーチング」「メンタリング」
鼓和-core-の話は、この辺りにしておきまして、現在は「鼓和-core-」の活動以外には高校や一般団体の指導のお手伝いをさせていただいていますが、マーチングはここ近年で本当に大きな成長を遂げていると思います。その分、指導する側にも様々な要素を求められることも多いかと感じます。
時間をかけ1つのショーを皆で作り、大会やイベント等で披露するといった点ではどこの団体も変わりありませんが、団体の特性や環境、指導する対象年齢などは様々です。また、マーチングの指導は単発ではなく、ある程度の期間を通して継続して指導に携わることが多いので、下記の大きな3つの要素、バランスも大切になってくるのではないかと思います。「ティーチング」(知識やスキルを付与する)、「コーチング」(知識・スキル・意識を引き出し挑戦させる)、「メンタリング」(相談にのって、低下している意欲を引き上げるなど)。似ているようで微妙に違うこの3つですが、これらのバランスを時と場合によってうまく使い分けることによってメンバーの方々とも長くよい関係が築いていけるのではないかと思います。グループの運営を行うこと、また指導をさせていただくことにも共通しますが、どちらもすべて1人でできることではありません。いろいろな方の協力や関わりがあってこそ実現していることがほとんどです。周りとの協調性を保ちながら、自分のやりたいことを形にしたり、表現してこれからもたくさんの方々との出会いがあればと思います。どうもありがとうございました。