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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

和田 拓也/Takuya Wada

Drum Corps Fun vol.4(2009年4月18日発行)に掲載

インストラクター

和田 拓也

私が吹奏楽部へ入部しマーチングと出会ったのは高校2年生の夏だったのですが、それまではモダンバレエを習っていました。
今となってみると洋楽好きの父とジャズダンス講師の母を持つ私が、音楽とダンスに興味を持つのは自然なことだったのかもしれません。しかし、その「興味」は始めるきっかけにはなったものの、「好き」と言うには時間がかかったように思います。

継続は力になり、次第には楽しみを見出すようになっていったのです。

踊りに対する好奇心と母の強い勧めもあり、兄と共にモダンバレエを習い始めることになった当時、私は小学5年生でした。
小学生の男の子といえば近所の友達との遊びに夢中になり、テレビゲームしたり自転車に乗って出かけたりといった姿をよく見かけませんか?
私にしてもそれは例外ではなく、「友達との約束を断ってまでなんで僕は木の棒を握って膝をまげる練習をしているんだろう…」(バーレッスンのことです)とよく思ったものでした。
しかしすぐ辞めると思っていたバレエは意外と長続きし、その継続は力になり、次第には楽しみを見出すようになっていったのです。

15歳の頃、兄とコンクールに出場したのですが、コンクール作品というのはそれまでの「音楽に合わせて踊る」といった単純なことから「体を使って表現をする」ことが+αされ、踊りに対するより高度な技術、理解が求められるようになりました。良い結果を求めていた私達は自らの踊りを研究し没頭しだすようになりました。
そこで、何かを表現をする楽しみや大変さを、初めてリアルに肌で感じたことをよく覚えています。音楽と動きの一体感。それによって生まれる表現。ダンスからマーチングへと踊る場所を移した今も「表現をする」というルーツは変わらず、そして課題となっています。

とにかく食いついたのです!

マーチングとの出会いは高校2年生の夏でした。そこに至る経過はたくさんあるのですが、間違いなく人とのつながりがもたらしたものだったと思います。
おそらくほとんどの方と同じように、私がマーチングを初めて見た感想も「わからない」でした。
しかし吹奏楽部の演奏会を見に行った際、仲の良い友人がカラーガードとして踊ってる姿を見て、なんだか嬉しくなり、しかも楽しそうだしかっこいい…自分にもできるかなぁ?バレエが役に立つかも!…んー、でもやっぱりわからない。
という複雑な心境になりました。まるで子供の必殺技(ウルトラなんたらかんたらアタックみたいな)を喰らったような、「よくはわからないのだけど、とにかくスゴいんだよね?!」という気持ちです。
まぁ、とにかく食いついたのです!マーチングに!(笑)

すべてが夢のような、輝かしい日々だったと思います。

その後、部活からの誘いもあったので迷わず入部を決めました。
途中入部にも関わらず私が部活の中で居場所を見出せたのは、メンバーや先生、そして両親のおかげに他なりません。
仲間やライバルにも恵まれ、私はあっという間にマーチングに熱中していきました。
幼少からのダンスの経験や、素晴らしい師との出会いもあり、カラーガードは日に日に自分に馴染んでいったように思います。ドラムコー小僧って言えばいいんでしょうか…暇さえあれば、DCIのビデオを見て「○○年のどこどこのあれがアツい!!」という話題を友人とする。
私もそんなドラムコー小僧だったんですが、中でも曲、振り付け、テーマなどすべてが好みだったBlueDevilsに夢中でした。
憧れは次第に夢となり、いつからか「BlueDevilsに入りたい!!」と強く願うようになりました。
幸運なことに私達の師がBlueDevilsに所属していたこともあったので、ノウハウや対策を学ぶことができ、さらに幸運なことに高校3年生の冬に受けにいったオーディションにて合格を頂くことができました。嬉しかったですね~!本当に。
高校を卒業した後から、エイジアウトに至るまで合計で4年間所属していましたが、1つのシーズンが終わり、その年のビデオが発売されても、そこに映るBlueDevilsの中に自分もいる、というのがいつも信じられませんでした。とてつもなく巨大な規模のドッキリカメラなんじゃないか、というかすべてが夢のような、輝かしい日々だったと思います。

「自分にしかできないことをしよう」と気付かされたような気がしたのです。

「これがしたいから生きている!」と言えるものに2つ、出会うこととなります。

DCIの参加を終え、それだけを目標に生きていた私は一時的に「空っぽ」になりました。
就職するという選択肢もありましたが、どうしてもマーチングを諦めきれなかった私は、
新たな生き甲斐を見出さなくてはなりませんでした。
生き甲斐というと大げさかもしれませんが、結果「これがしたいから生きている!」と言えるものに2つ、出会うこととなります。
1つは自らの団体での活動、そしてもう1つはマーチングの指導です。

2005年、地元浜松にて師と共にカラーガードチーム Lifeguardを立ち上げ、自らも参加しながら活動していました。
始めは3人からのスタートでしたが、年を追うごとに仲間は増え3年目には24人のメンバーに恵まれることができました。
昨年よりマーチングバンドとして規模を拡大し、浜松市内を始め近隣の地区から参加してくれるメンバーも増え、その分悩みも増えましたが、周りのメンバー達に支えられながら素晴らしい思いをさせてもらっています。
私達のバンドメンバーの多くは社会人と学生であり、その学生達も日々バイトをしたりしています。更には仕事や勉強をしていればストレスも溜まるかと思います。
そんな中、週に1度の日曜日をマーチングの練習に費やしてくれているメンバーには頭が上がりません。
みんな、いつもありがとう(照れ笑)
昨年度は惜しくも全国大会の切符を手に入れることができませんでしたが、もちろん何度でも目指して、出場していきたいです。
大人になると仕事以外の場で、何十人もの仲間と全力になって何かに取り組むという機会には出会いにくいかと思います。
でもいくつになっても、誰かと共に汗をかいたり、笑ったり泣いたりするのはいいものだと思うのです。
そんな仲間達をこれからもLifeguardで増やしていきたいですね。

上達がきっかけで彼らの望んでいた夢が叶うとすれば、教える者伝える者としてそれほど光栄なことはありません。

私は普段、マーチングの指導に携わらせてもらっていますが有り難いことに子供から大人にまで、ガードを教える機会があります。
指導を始めたのは母校の手伝いがきっかけだったのですが、はじめは未熟な真似事だったように思います。教育者の真似、格言者の真似…自分がいったい何を教えるべきなのか見失ってばかりでした。
失敗して気付かされ、それを何度か繰り返しながらいろいろなことを学んできたんだと思います。今でも、指導しているはずが、指導してもらってるなぁと感じることが多々あるんですよ。指導者として、それはいけないことかもしれませんが、それだけ自分にもためになることがあります。
それに、生徒の上達の力添えができるというのは嬉しいことです。
その上達がきっかけで彼らの望んでいた夢が叶うとすれば、教える者伝える者としてそれほど光栄なことはありません。
でも部活やチームって、当時はなかなか気付けないですけど、すごいキラキラしてると思うんですよ。
だから自然とそうなっていくんですよね。
何かに成功した喜んだ顔を見ると「教えていてよかったな」と思います。

私を支える多くの人がいるおかげで、そんな要素を上回る楽しみと喜びを感じることができます。

Lifeguardも、指導も、良いことばかりではないのです。
重圧になるときもあれば、逃げ出したくなるようなときもある。
楽観的で未熟な私を支える多くの人がいるおかげで、そんな要素を上回る楽しみと喜びを感じることができます。
すごく贅沢な生き甲斐を見つけたのだと思っています。

私には今「マーチング」と「ダンス」しかありません。
それしかできませんし、事務の仕事ができるあの子を、SEの仕事をしているあの人を、羨ましく思ったりもします。でも、とある人から「これしかないって言えるものがあって羨ましい」と逆に言われハッとしました。
「自分にしかできないことをしよう」と気付かされたような気がしたのです。

環境、運、人脈、他にも様々な要因があり私は今に至っていますが、1つ確かなのは、続けてきたから今があるということでした。
もっと前は「あれもこれもできた」かもしれませんが、続けてこれたので「これしかない」。それは決して消極的な意味ではなく、「個性」となったのだと思っています。

なんとなく続ける前に答えを出してしまう方もいるのではないでしょうか?
もしくは自分には「なにもない」と思っている方はいませんか?
まずは続けてみてはいかがでしょうか?答えが見えるかもしれません。
以上、若輩者の私からのアドバイスでした。

最後となりましたが、私は音楽、舞踊、演劇、絵画、写真…などの「芸術」と呼ばれているものにはどれも共通する要素が含まれていると思います。
どれも自分の存在を主張しており、気付いて欲しがっているのではないでしょうか?
「自分はここだ」「見つけてくれ」と存在意義を叫んでいるように思います。例外ではなく私も同じです。自分が踊っているときは「目立ちたい!」と強く思っています。
これからもその情熱を燃やしつつ、多くの人とその炎を共有できればと思っています。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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