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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

藤田 奈緒美/Naomi Fujita

Drum Corps Fun vol.5(2010年4月30日発行)に掲載

インストラクター

藤田 奈緒美

自分の知らない知識を沢山持っている仲間に出会え、マーチングの魅力にどんどん惹かれていきました。

私がマーチングと出会ったのは、茨城県立大洗高等学校に入学した時です。カラーガードの指導をしている私が,カラーガードのない大洗高校出身だと結びつかない人も多く、「出身は?」との質問に学校名を答えると、皆さん不思議に思われるのか、必ず間をおいて反応されるので、今ではそれを楽しんでいます。
私が高校に入学した当時は、クラブの活動の中心を吹奏楽からマーチングに移行した年で、なにもかも初めてのチャレンジでした。顧問の有國淨光先生は,当時から10代の私達と同じことを自ら動いて模範を見せる、バイタリティーあふれる指導をされていましたし、それは今も変わっていないようです。陸上部並みのスピードでの朝のマラソン、足が上がらなくなる程の長時間のマークタイム、先生も一緒に動くので私たちが途中で諦めるわけにはいかず、本当に辛い練習でしたが、先生の指導にがむしゃらについて行き、そんな状況がマーチングの楽しさを倍増させました。更に指導者協会(当時)のキャンプに参加したことで、自分の知らない知識を沢山持っている仲間に出会え、マーチングの魅力にどんどん惹かれていきました。
高校三年生の時、「つくば万国博覧会」があり、式典でドラムメジャーをしたことで、メジャーバトンやカラーガードに興味をもちました。私はどうしてもカラーガードをやってみたくなり、先生に何度も導入をお願いしましたが実現しません。それでも諦めることができず、定期演奏会だけでもカラーガードをやらせて欲しいとお願いしたところ認めていただき、カラーガードのことなどほとんどわからない中,暗中模索しながら振り付けをしたことが、現在の道へ進むきっかけとなりました。後にも先にも、大洗高校にカラーガードが存在したのは、多分この時だけではないでしょぅか・・・。(笑)

メンバーと共に全国大会を目指して過ごした時間はとても充実していました。

マーチングを、特にカラーガードをもっと知りたいという気持ちが強くなり、大学進学を機に東京に住むことになり、一般団体に入ることを考えました。そして,高校生当時お世話になっていた方々が所属していたこともあり、迷いもせず日本ビューグルバンドに入隊しました。技術的なことを新たに習得できるだけでなく、様々なイベントへの参加も多く、何もかもが新鮮に感じられました。また、幅広い世代の方々が所属していたので、高校時代とは違った人間関係も構築することができ、毎回の練習が楽しみでワクワクしながら通ったのを思い出します。ちょうど同じ時期に、色々な学校の指導の機会もいただくことができたので、学生時代には充実したマーチング活動をすることができました。
大学卒業後、教職を希望していたこともあり、埼玉栄高等学校の教員(家庭科)となり、マーチングバンド部の副顧問に着任しました。普段の授業運営はもちろんのこと、部活動の運営や生徒指導など何もわからないままに就職したので、顧問の須永隆先生に助けて頂きながら多くの事を学びました。外部講師とは違って、マーチング指導以外の業務も多く、限られた時間の使い方にとても苦労しましたが、メンバーと共に全国大会を目指して過ごした時間はとても充実していました。マーチングという表現方法を自分の中で組み立て、創り上げることが出来た貴重な時期であり、自分の現在の指導の基礎が確立できたのも、この六年間の教員生活があったからだと、本当に感謝しています。

近頃、マーチング活動を続けていく中で、結婚や出産の壁にぶつかり、悩んでいる女性から相談を受けることがあります。実際、私もその一人でしたが、今までも多くの方が悩んできたことなのではないでしょうか。環境や置かれている状況も人それぞれ違うので、何がベストの答えなのかハッキリとした結論を出すことができず、とても難しい問題だと今でも感じています。今回、この雑誌に掲載する機会をいただくにあたり、今悩んでいる人たちや、これからそのような状況になるかもしれない・・・と感じている人たちにとって,私の経験が少しでも活かされる機会になれば、と思っています。

たとえどんな条件であっても、質や量にこだわらず、自分が出来る範囲で進めていくことが大切だと感じます。

私が結婚した当時は,まだ教員の仕事を続けていました。結婚前、夫とは充分に話し合った上で,仕事やプライベートでのお互いのスタンスをきちんと決めて結婚生活を始めました。しかし、いざ一緒に生活をはじめてみると、お互いの思い通りには進まないこともあり、何を優先すべきかその時の状況にもとづいて判断していくのがとても大変でした。一人の生活とは違って、時間の使い方には工夫が必要でしたし、特に大会シーズンはすれ違いの生活になってしまい、話し合って決めた事に少しずつズレが出てきたこともしばしばありました。修復するのにも時間がかかりましたが、自分が忙しくても無理をせず、相手にも無理をさせない、お互いの時間を大切にするよう助け合って尊重することが一番だということがわかりました。相手が理解してくれていることに決して甘えないこと、自分の忙しさを言い訳にしないこと、一緒に協力していることに感謝の気持ちを持って生活をすれば、結婚後もマーチング活動は続けることができると思います。特に、出産・育児に関しては、想像以上に忙しく活動時間が極端に制限され、結婚後の仕事とプライベートの両立よりも時間配分が難しく感じられるでしょう。フリーで働いている人は、産休・育休も自分で期間を決め、指導していた団体の後任の要請や引き継ぎ者の確保、子供の保育園の確保などなど・・・出産前から多くの悩みが出てきます。

私が不安に感じたこと事の一つに、産休・育休からの復帰のタイミングをいつにするか,という問題がありました。長期間マーチングから離れてしまうと,不安が増して臆病になりがちです。出産後、しばらくして動けるようになってからも育児に追われてしまい、強制的に復帰する状況を作らない限りは、マーチングと家庭生活との両立は困難と判断してマーチングを辞めてしまい、有能な人材がその才能を生かすことなく活動ができなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。復帰したい気持ちはあっても、自由に身動きがとれない状態であることは、自分が一番わかっていますから・・・。(たとえ家族の協力を得たとしても厳しいですよね。)

私はある方から、「子育て頑張ってる?6~7年経てば落ち着くわよ。」と言われ、あまりの時間の長さに不安になった時期もありましたが、逆に考えると、その頃には仕事に完全に復帰出来るわけです。ありがたいことに、私は出産後二年程で、講習会や学校での指導のお話をいただき、ショー作りのような長期間の定期的な指導はできませんでしたが、家族に協力してもらいながら、子育てとマーチングを両立することができました。実際、出産してから7年程経つと比較的時間にも余裕がもてるようになり、以前と同じようなスケジュールで仕事を組めるようになりました。マーチングは逃げるわけではないので、焦らず子供の成長を楽しみながら過ごして、ある時期が来たら復帰という選択肢もあると思います。

私の場合、両親と離れて住んでいるので、子供の世話を急にお願いすることもできず、保育園に預けられる条件もありませんでした。また、主人も音楽には無縁の人で、マーチングを続けるにはとても困難な条件でした。ただ、たとえどんな条件であっても、質や量にこだわらず、自分が出来る範囲で進めていくことが大切だと感じます。ほんの少しでも良いのでチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

「結婚・出産」の壁を乗り越えたので、次なる「年齢」の壁に挑戦し、下の世代の方たちにアドバイスが出来るよう頑張っていきます。

選択肢は様々ありますし、遠回りしても行きたい道に繋がると信じて今という時間を楽しんで下さい。

その後、「そろそろ、時間を作って、どこかの団体の指導をしてみないか?」と背中を押してくれた福島格史さんの一言で、私にも大きな変化が訪れました。当時子供は2歳と4歳!何が起こるかわからない年齢であり、その日の子供の体調や機嫌によっても左右され、時間を確実に確保することがしにくい状況でした。責任を持ってひとつの団体の指導ができるのか・・・という不安もあり、なかなか踏み込む勇気もありませんでした。何よりも、団体に迷惑をかけるわけにはいかないという思いが強く、最後まで迷いがありました。色々なことを考慮した上で、双方の条件が合う学校を紹介して下さったので、取り組むことにしました。

日中の育児は自分でやるしかないため、平日はレッスンのために家を空けることはできず、夫に子供を預けて週末だけの指導となりました。夏休みの期間だけは週末だけの活動というわけにはいかなかったので、顧問の先生にお願いして、子連れでの指導にチャレンジ。子供はリュックを背負い、シートやお菓子や水筒の大荷物を持ち、家を出ると、近所の人たちからは「ハイキングにでも行くの?」と声を掛けられる程でした。(笑) 当時の子供の夏休みの思い出日記は海でも山でもなく、横ではマーチングの練習をしている暑い体育館での遊びでした・・・。子供達も次第に慣れてきて、平日も時間を決めてのレッスンができるようになりました。子供の順応性には本当に驚かされます!家とは全く違う環境で過ごし、顔は見えていても何時間も離れている状態を嫌がると思っていましたが、「仕事なの?」となんとなく感じとっていたようで、入ってはいけないエリアには決して近づかず、自分たちだけで遊び、休憩やレッスン終了となると、走って近づいてきたものです。

ママになっても頑張っている女性がどんどん増えていって欲しいですね!!

私のような子育ての条件や様々な事情を理解して、その条件に合わせてくれる学校や団体も周りにはありますし、家族の協力(特に子供)もあり、自分が思っている以上の仕事ができることを知りました。何事も自分だけで判断して、無理だと決めつけてはいけないことがわかり、マーチングをやってきて本当に良かったと実感しました。それだけに、責任を持って、充分に理解や納得してもらえるような指導を心掛けました。
マーチングを続けて行きたいという意思はあっても、いざ出産すると、目の前に大きなシャッターが閉まったようで、先が何も見えず、今までやってきたことが突然ストップさせられたよう様な不安にかられるかもしれません。選択肢は様々ありますし、遠回りしても行きたい道に繋がると信じて今という時間を大切に楽しんで下さい。子育ての中には、マーチングに活用できる要素が宝物のように隠れていますから、マーチングに直接関わっていなくても、宝物をたくさん発掘して、力を蓄えていって下さい。私が実践できたことはほんの一部に過ぎないかもしれませんが、もっと違う方法でアプローチして解決できることも多いと思うので、深く悩まず、チャレンジしていって下さい。周りには、協力してくれる家族や、相談に乗ってくれる仲間、後ろから支えてくれる仲間など、大勢いると思いますから、決して焦らずゆったりとかまえて、必要と思ったときに甘え、相談しても良いのではないでしょうか。皆さんの周りにも、「結婚・出産」を乗り越えて、多くの経験を積んで活躍されている女性がいると思います。是非、いろいろな人たちの意見を聞いて参考にすることをおすすめします。

若い世代の人たちは、私の学生時代とは違って豊かな環境で学び、より高度な技術も身につけていると思います。その知識や技術を無駄にせずに長く活躍して、ママになっても頑張っている女性がどんどん増えていって欲しいですね!! 「自分にはムリ!」と思わずに、是非、一歩踏み出してみて下さい。

あらゆる世代の人たちとコンタクトのとれる演技も楽しみたいですね

本当にカラーガードは面白いですね・・・。カラーガードを通じての表現の奥深さを感じ、演技しているメンバーをみているとドキドキ・ワクワク。まるで恋人と会っているような感覚で、いつも新鮮な気持ちになります。一生懸命表現しようとする姿を見ていると、愛おしく感じ、親心のような感情をもってしまうことさえもあります。

マーチングの中でも、特にカラーガードではインスピレーションを大切にしながらも、曲やドリルに敏感に反応して身体全体で表現する。五感を活かしつつも全体を崩さないようバランスをもって表現できる魅力的なパートだと思います。例えるなら、「カルメンのような魅惑的女性」・・・と言うのでしょうか。恋の駆け引きを楽しむかのように、時にはトランペットのメロディーに恋をし、ある時には低音の響きに惹かれ、ドラムのリズムも自由気ままに感じ、それらを手具やボディワークで表現できることは素敵です。

近年、審査をさせていただく機会が増え、クオリティーの高い、素晴らしい演技を観て感動するばかりです。私がカラーガードを知り始めた頃は、単に旗を振る要素だけを重視していた気がします。この十数年の間にめまぐるしく表現方法が変化し、様々な要素が加わりました。それだけに、今までのやり方にとらわれずにもっと楽しむべきではないでしょうか。難しい課題ですが、完成度の高さを追及する一方で、難易度にとらわれず様々な表現手段を見つけ、アピールして欲しいと感じることもあります。カラーガードの演技は他の競技演技とは違い、振り付けの規定がありませんから、その多様性を生かすことによりショーの表現や自分たちの表現にふさわしい「~らしさ」を大切にして欲しいと思います。また、客観的な立場から、単にジャッジされる目的演技としてではなく、あらゆる世代の人たちとコンタクトのとれる演技も楽しみたいですね。難易度の高い演技に偏るのではなく、フィギュア・スケートで例えるなら「イナバウアー」と騒がれた演技のように印象に残るような、曲を聴くと誰もが容易にイメージできるような演技。「流行」を自ら作ってしまう、そのような演技ができるのもカラーガードだと思いませんか?

旗の色、大きさ、形、高さ、空間、スピード、身体のあらゆるパーツ、表現内容・方法…組み合わせたら果たして何通りあるのでしょうか?一つひとつ楽しく出来るのが、カラーガードの良さだと思っています。

今後の目標は「若さをキープすること!」(笑)私のことを良く知っている人たちは大笑いしているかもしれませんが・・・。ここで言う若さとは、見た目の若さでなく、心(気持ち)の若さです。バレエの世界では、60代、70代の方々がレオタードを着てレッスンを受け、発表会に出ているのですから、カラーガードの指導も年齢制限はないですよ・・・。要は気持ちのもちようと体力ですから、何歳になっても必要とされる指導者になれるよう、努力していきたいです。

「結婚・出産」の壁を乗り越えたので、次なる「年齢」の壁に挑戦し、乗り越えて、下の世代の方たちにアドバイスが出来るよう頑張っていきます。

高校生の時は、ここまでマーチングと長いつき合いになるとは想像もしていませんでしたが、様々な壁を乗り越えてここまで頑張れたのは、マーチング活動を通じて出会った先生方や仲間、支えてくれた家族のおかげです。何歳になってもこの感謝の気持ちを持ち続け、お役に立てるような活動をしていきたいです。

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