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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

伊藤 健二/Kenji Ito

Drum Corps Fun vol.5(2010年4月30日発行)に掲載

伊藤音楽事務所代表/プロダクトデザイナー/財団法人日本体育協会公認ジュニアスポーツ指導員

伊藤 健二

私は横浜市の私立捜真小学校で4年生のとき初めてマーチングバンドを経験しました。最初に手にした楽器はコルネットでした。当時クラブ活動の一環で参加した全日本マーチングバンド連盟の神奈川県大会で巡り合った日本ビューグルバンド、Yokohama INSPIRES、YOKOHAMA BLAZING BRASS、オトナの人たちの個性溢れるパフォーマンスは、コドモだった私にものすごい衝撃を与えるものだったと記憶しています。小学校卒業後は、日本ビューグルバンド(研修生)、関東学院中高マーチングバンド、Splendors、BAY MAX等のチーム経験を経て、1994年に渡米しCadets of Bergen Countyにバリトンビューグルで入隊、DCIを経験いたしました。帰国後はDCIのツアー中に知り合った方々を通じてマーチングの指導を始めるようになりましたが、大学卒業と同時に現役も指導も引退し、宅地建物取引主任者の資格を生かして不動産会社に入社しました。すぐにでもマーチングを仕事にしたいという気持ちもありましたが、普通の社会人の経験もしてみたかったし、いつかマーチングの仕事が出来るようになった時にはその経験が幾許か役に立てばいいなと、そのくらいに思っていました。
そして約6年間の企業戦士の生活は、後の指導者としての精神的に大きな基礎を作ることとなりました。

理念はとても大切です

私が就労したこの会社への志望動機となった企業理念のひとつを抄出いたします。
〈人間は夫々かけがえのない貴重な存在である と云う認識の下に、相手の幸せを願いその喜びを我が喜びとする奉仕の心を以って何事も誠実に実践する事である。〉
私はこの会社を退職し7年ほど経ちますが、今でも戸惑った時や壁にぶつかった時は会社員時代のことやこの言葉を思い出します。この会社に入社し私に最初に課せられた仕事は、お客様からの苦情の電話を受け付けることでした。入社したてで差し当りやることのない新人はまず電話に出ろと教えられ、新人らしく元気に張り切って電話に出るのですが受ける電話のその多くは苦情、その他には家賃を滞納された方への督促、アパート利用者間のトラブルへの対処や家賃の減額の交渉と、次第に厳しい折衝が要求されるようになりました。私はそれにいつも真摯に応対するよう努めましたが、時には訪問したお客様のお宅で、帰れ!と一喝されカバンを外に放り出されたり、賃料滞納の結果強制執行される方の現場に立ち会ったり、慣れない仕事に戸惑い暫くの間は気が滅入ってしまうこともありました。そうした辛い時にはこの会社組織の存在意義でもある企業理念を何度も自分に読み聞かせて、社会人新人時代をなんとか乗り切ることができました。

音楽事務所を開設しました

その後会社を退職し、父の経営する不動産会社へ転職しました。同時に友人であるパーカッションアレンジャーの中村裕治さんの勧めもあって、2003年東京フェニックスに入団しました。当初はプレーヤーとしてお世話になるはずが、当団長の福村さんのご厚意とご配慮をいただき、その年の途中から2007年に初めてヴィジュアルデザインを手がけるまでの5年間、スタッフをお請けすることになりました。2004年からは湘南台高等学校、星野学園などで管楽器指導のご依頼を頂くようになり、2009年末に不動産職を退き独立して音楽事務所を開設いたしました。現在はGENESIS、さつきドリーマーズなどのヴィジュアルデザイン、関東東北地方を中心に音楽やマーチングの動きの技術指導、いくつかのチームではメンタルコーディネーション、コーチングについての指導やチームブランディングについてのお話などデザインのご相談も頂くようになりました。

マーチングバンド・ドラムコーの芸術性を、より深く追究していくことが私の理想です。

マーチング好きを育む2つの指導プログラム

マーチングバンド・ドラムコーの将来を見据えるとき、その歴史や基本を押さえることはとても大切なことです。2年程前から日本マーチングバンド・バトントワーリング協会の指導員プログラムを受講することにいたしました。さらに財団法人日本体育協会の実施するスポーツ指導員に興味を持つようになりました。マーチングと純粋なスポーツとはその内容も指導手法も異なりますが、マーチングの動きそのものは紛れもなく運動のひとつですし、カラーガードのダンスも運動です。楽器を演奏することも日常生活も広義に解釈すればすべて運動といえます。調べていくうちにこれらについての勉強がマーチングにとって特に有意義なものに感じるようになって、気が付いたら夢中で資格を取っていました。私の取得したジュニアスポーツ指導員の役割は、『地域スポーツクラブ等において、幼・少年期の子どもたちに遊びを通したからだづくり、動きづくりの指導を行う。』というものです。この文章のスポーツをマーチングという言葉に置き換えれば、そのままその世代に応じたマーチングの指導に活用できます。国立スポーツ科学センターで行われているこの日本体育協会の指導者育成プログラムでは、統計や学術的アプローチをベースにして、コーチング技能をはじめ、スポーツ好きな子どもをいかに育成していくか、子どもの成長に合わせて無理のない遊びやメニューをいかに提案するのかを勉強いたしました。
マーチングを教育として捉えたとき、それは大きく音楽教育的観点、体育教育的観点、人間教育的観点の3つに分けられます。これは日本マーチングバンド・バトントワーリング協会の指導書では巻頭に提示されていますが、この三本基軸のひとつである体育教育的観点から今現在のマーチング指導現場の背景を少し述べさせていただきます。

文部科学省の見解と子どもの置かれている現状

国の体育教育に対するあり方、方針を示したものに文部科学省が刊行する科学技術白書というものがあります。直近の白書の中にある「平成20 年度全国体力・運動能力,運動習慣等調査結果について」のトピックには以下の様に記されています。
〈多くの児童生徒が昭和60 年度の(体力の)平均値を下回っていることが明らかになったと共に、特に中学生において,運動する子どもとしない子どもの二極化,またそのことによる体力の二極化がみられました。女子については,小学生,中学生ともに運動をほとんどしない児童生徒が非常に多いことがわかりました。〉とあります。
この統計によると中学生女子では総生徒数のおよそ4割が、1週間のうちほとんど運動をしないか全く運動をしません。また、従前のスポーツ中に起こるケガは、足部などの捻挫、肘や膝の中軽度の外傷が一般的でしたが、整形外科によると近年の特徴として顔面のケガや手首の骨折なども増えてきていることがわかりました。これは基本的な反射運動能力である受け身ができない、自分のからだをうまくコントロールできない児童生徒が増えていることを意味します。全体の傾向としては、児童生徒の身長体重は伸びているのに筋力や神経系機能は落ち込んでいるのです。
文部科学省は、数年前からこのような現状を踏まえどうにか体力低下をくい止めるべく様々な指針を打ち立てていますが、富裕化による国民の生活スタイルの変化(運動不足傾向、睡眠時間の減少、食生活の乱れ)も少なからず影響しており、依然子どもたちの体力低下は進む傾向にあります。

打開策は「プレマーチング指導」

マーチングの裾野を広げる為に、もう既に活動をしている人たちへは更にマーチング好きになってもらうための指導やコーチングが必要であると共に、これらの運動経験の少ない人たちに向けては基本的なからだの使い方を段階的に学習させ、能力を開発させる、更には激しい運動でもケガをしにくいからだ作りやケガ防止の知識を指導するためのしくみ「プレマーチング指導」が必要だと考えます。
基本的なからだの使い方を学習させ、能力を開発させる指導とは、運動神経の良さ(これをコーディネーション能力といいます)を養うことだといえます。運動神経は人が持って生まれた才能ではなく、誰でも伸ばすことのできる才能なのです。本来小学生のうちに最も開発されるはずの神経系機能、コーディネーション能力を強化することで、人は誰でも複雑な運動をより短期間で習得することができます。コーディネーション能力は、次の7つのスキルに分けられます。

7つのコーディネーションスキル
1.モノの形や位置関係などを認知する
2.状況変化に正しく反応する
3.合図や変化に素早く応じ動作する
4.いくつかの技能を正しく組み合わせる
5.それを緻密にコントロールして行う
6.リズムを真似たりタイミングを掴む
7.身体のバランスを保つ

例えば、鬼ごっこには、1.鬼との距離を計り、2.鬼のフェイントに反応して、3.それを素早くかわす、という主に3つのスキルが要求されます。縄跳びには、4.ロープの操作とジャンプを組み合わせ、6.リズムやタイミングを掴んで、5.それを正確に行い、7.身体のバランスを保つ、という4つのスキルが要求されます。
さてこの話をマーチングにあてはめてみます。マーチングショウに於けるパレーディングやドリル演技は、これら7つ全てのスキルが同時にかつ高いレベルで要求され、管楽器のプレーヤーについては演奏中に呼吸の制限を強いられます。趣味としてのスポーツに置き換えるとこれだけ難度の高い能力が要求される種目はごく少ないと思われます。
運動経験の少ない人を指導対象とする場合は、まずその人の神経系機能の達成度に応じて適切なコーディネーショントレーニングを提供することが、マーチング練習に対する苦手意識を取り除くことに繋がります。

私なりの指導者としての目標ですが、以上の事柄を念頭に、当然のことながら誠意を持って尽力すべきだと考えます。子どもたちを心とからだのケガから守る努力を惜しまず、忍耐を甘受し、協力を厭わない姿勢を真摯に持ち続けることが何より大切だと考えています。子どもたちには、より明るく・もっと楽しく・最高にかっこいい時間と空間を提案できるよう、これからもより多くのことを吸収していきたいと思います。
以上のことを踏まえて、マーチングバンド・ドラムコーの芸術性をより深く追究していくことが私の使命と信じています。

参考文献
「企業理念とビジョン」積水ハウス株式会社
「科学技術白書」文部科学省,2008
「コーディネーション・エクササイズ」東根明人監修,全国書籍出版,2004

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