天理教愛町分教会吹奏楽団
Drum Corps Fun vol.1(2006年4月27日発行)に掲載
名古屋から名鉄で約40分、天理教愛町分教会吹奏楽団は愛知県半田市の名鉄青山駅から車で約10分走ったところにある丘のうえに聳え立つ専用の体育館で練習している。今回は日本を代表する一般マーチングバンドである愛町バンドの歴史と、練習風景を取材した。
天理教愛町分教会吹奏楽団は、マーチングバンド全国大会で過去5回のグランプリに輝いた日本を代表するマーチングバンド。近年ではDCIやWGIにメンバーが留学し、よりハイレベルな技術を習得している。特に日本一を誇るパーカッションセクションは有名である。メンバーの約7割は天理教の信者で構成されているが、天理教以外のメンバーもいる。信仰は自由でやりたい人は誰でもメンバーになれるというのが愛町バンドの特徴。またマーチングバンドの本場アメリカよりスタッフを招聘し、ハイレベルかつ芸術性の高いショーをクリエイトしている。
「天理教愛町分教会修練場」 これが愛町バンドの体育館の名前である。そう、つまり専用の体育館を持っている日本で唯一の団体なのである。マネージャーであり現役のユーフォニアムプレーヤーである伊藤圭三氏が私達を丁寧に案内してくれた。まず案内されたのは各パートの練習室である。愛町分教会修練場にはパートごとに個別の練習室があり、防音設備も完璧。最近では周囲からの苦情もなく、のびのびと練習できるのだという。ブラスセクションの楽器について伊藤氏に聞いてみると・・・
「ブラスセクションはインストラクターのマーティン・リース氏が愛町バンドに合った音作りができるように最適な楽器を選んでいます。もちろんいいものを作るためなので楽器メーカーのこだわりもありません。ちなみにトランペットはテイラーのシカゴカスタムモデルを使っています。普通のトランペットよりも重くて鳴らすのが大変ですが、この楽器だとどんなに大きな音を出しても音が割れることはありません。中音域はメロフォン(キング)とフレンチホルン(キング)を使い、低音域はテナーバストロンボーン、ベーストロンボーン(エドワーズ)、ユーフォニアム(カンスタル)、チューバ(ダイナスティ)を使っています。低音域を充実させることで音に厚みを出し、ダイナミックなサウンドを作っています。それぞれのセクションに合ったメーカーの楽器をそろえることで愛町サウンドは生まれています。」
次に案内されたのは少し大きめのパーカッションセクション(バッテリー)の練習室。先述したとおり、愛町パーカッションセクションは日本一のパーカッションセクションであり、個人個人がハイレベルな技術を持った集団である。部屋に入ってみると個人個人でウオーミングアップをするメンバー、楽譜を確認しているメンバー等様々であった。パーカッションセクションについて伊藤氏に聞いてみると・・・
「今では結構有名になって、いろいろな団体で採用されているイノベイティブパーカッションのスティックは実は愛町が日本で最初に使い始めたんです。またパーカッションセクションはDCIに留学するメンバーが多く(バッテリー、ピット問わず)、今までキャバリアーズに1992年、1995年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年にメンバーが留学し、5回のワールドチャンピオンに輝きました。この経験と実績がほかのメンバーへの刺激となってお互いが切磋琢磨しながら成長しているセクションがパーカッションセクションで、今年はブルーデビルスにピットのメンバーが留学する予定になっています。最近ではいろいろな高校、または一般団体から愛町でパーカッションをやりたいということで入団してくるメンバーも多くなってきました。」
またピットパーカッション専用の練習室はメインフロアの隣にあり、すぐに楽器をフロアに出せるようになっている。最近練習場が少し広くなり、いろいろな楽器を置けるようになったそうだが、大きい楽器が所狭しと並んでいる風景にはただただびっくりするしかない感じだった。
メインフロアに案内されるとそこには公共の体育館と同じくらい広い空間が現れた。周りには過去の愛町バンドの大会や遠征のときの写真、また過去のショーで使用したプロップや大道具が飾られていた。一番目に付いたのが「ヘリコプター」これは愛町バンドが初のグランプリに輝いた「ミスサイゴン」のショーの最後に出てきた原寸大のヘリコプターの模型なのである。その後二年連続グランプリに輝いたあとの招待演技の年に再度武道館に登場したが、現在ではオブジェとして体育館の一角に静かに君臨している。
メインフロアではカラーガードセクションが練習していた。中にはバトンを練習しているメンバーもいたが、それについて聞いてみると・・・
「愛町カラーガードはもともとバトンから始めるメンバーがほとんどです。小さいころにバトンを経験し、高校生くらいになってカラーガードに転向するというのが愛町では一般的な流れになっています。カラーガードセクションもパーカッションと同様にアメリカに留学するメンバーが多く、レベルの高いセクションです。またパーカッションと交互にWGIに出場していて、2004年は7位になりました。この時期はWGIの練習がありますからメンバーは気合入っていると思いますよ。全国大会のドリルよりも一生懸命じゃないかと思うくらいですから」。
しばらくするとディレクターである関根清和氏にお会いすることができた。
はじめに愛町バンドができたきっかけについて聞いてみた。
「私は小学校のころにマリンバをやっていました。昔名古屋の消防隊の訓練を見ていたら、後ろにバンドがついていてそのバンドがとても好きだった記憶があります。で、大学在学中に天理教の中でもいろいろなクラブができ始めたのがきっかけで、私もバンドを作りました。これが愛町バンドのはじまりです。最初は楽器の編成もよく分からなくて・・アコーディオンなんかもあったんじゃないかなあ。吹奏楽になったのはトランペット、トロンボーン、そして私がドラムという編成ではじめたのが最初で、このころから楽器をそろえ始めました。メンバーは当初少なかったですが、地元の高校生が入ってくれたりしてだんだんと増えていきました。1970年代に入って日本の中にもマーチングを、という動きが出てきて、愛町バンドもこのころからマーチングにシフトしていったんです。ちょうど大阪万博くらいのときだったと思います。大会も第1回フェスティバル(全国大会)からずっと出させてもらっています」。
次に専用の体育館建設の経緯について聞いてみた。
「最初は名古屋で練習していました。主に公園でした。そしたらうるさいからといって通報されてよくパトカーが来ましてね(笑)私何回も始末書書きました。こういうことが何回かあったんですが、そのうち財政的に余裕が出てきたので公共の体育館を借りはじめたんです、結構長くやっていたと思います。しかし我々は一般バンドで社会人もいる中で、午後9時までしか使えない公共の体育館での練習ではなかなかメンバーが集まらない、集まったとしても全体練習の時間が少なすぎるということもあり、本格的な練習が夜までしっかりとできる施設を、ということで体育館建設ということになりました。場所に関しては最初は名古屋に、ということで予定していましたが音の問題等があり、今のところになりました。ここでは周りが田舎で何もありませんからほとんど苦情はきません(笑)」。
最近ではアメリカ人スタッフ(主にキャバリアーズ)を招聘しているが、どうしてキャバリアーズのスタッフを招聘したのか聞いてみた。
「1992年にうちのピットの梶山宇一がキャバリアーズに入ったんです。1995年までメンバーをやって1998年にはインストラクターでキャバリアーズに残りました。この関係で愛町とキャバリアーズは親しくなっていったんです。最近ではキャバリアーズにオーディションにうちのメンバーが行ったら、ディレクターのジェフ・フィドラーさんがうちのメンバーをジェフさんの自宅に泊まらせてくれたりしていますよ、とてもいい関係を作ることができていると思います」。
最近ではAimachiとしてWGIに出場している愛町バンド。これについて聞いてみた。
「最初はカラーガードだけ出ていました。しかしパーカッション部門ができたからというので、パーカッションで出場してみたら2000年に3位になっちゃって。まあ今みたいに派手にはやってなかったから3位になれたっていうのもあるんでしょうけれど。それ以来カラーガードとパーカッションでなるべく交互に出場するようにしています。ちなみに今年はパーカッションの年で、来年はカラーガードが出ます。うちがキャバリアーズと親しくさせていただいているおかげで、WGIに行ったら楽器はキャバリアーズがトレーラーごと貸してくれるんですよ(笑)今年もそういう予定ですけどね。」
最近の愛町バンドは日本人のほかにもアメリカ人、タイ人など色々な国の人がマーチしている。このことについて聞いてみた。
「タイに演奏旅行にいったこともあってタイ人との交流もあるんです。実際、2年前からドラムメジャーはタイ人なんですよ、日本語しゃべれないけれど(笑)タイ人は何人かいて、今年は現役のキャバリアーズのメンバーをはじめアメリカからも何人か愛町でマーチしてくれました。メンバー同士は片言の英語でコミュニケーションしていましたね。練習中は日本語と、英語と、タイ語が飛び交うという(笑)すごい練習風景でした。タイ人の人は毎年5人くらい愛町に来ます」。
インタビューが始まってしばらくするとWGIのパーカッションの練習がはじまった。われわれがお話をうかがっている応接室にもバッテリーの息の合ったサウンドが聞こえてきた。今年のWGIのパーカッションのことについて聞いてみた。
「今年は日本らしい和の雰囲気と西洋の雰囲気を合わせたような曲を選曲し、ショーを構成しています。ビジュアルデザインはマイケル・ゲインズ氏が担当しています。今年のパーカッションの中にはガードも何人か入っていまして、ガードの振り付け等はブラストのジム・ムーア氏が担当しています。編曲はブレット・クーン氏とイノベイティブパーカッションのエリック社長が担当しています。WGIもDCIと同じで年齢制限があって、うちのメンバーもひっかかっている人がいるんですけど、インターナショナルコーに限ってはOKということになっています」。
愛町バンドは国内の学校ともとても交流が深いということだが、これについて聞いてみた。
「愛町バンドはキャバリアーズだけではなく、日本の高校生や一般団体の方とも交流しています。この練習場がある半田市はあんまりマーチングが盛んじゃないですけど、名古屋には増えてきています。名古屋女子に教えに行ったりしていますし、あとは豊田イリュージョンマジックとも交流があります。演奏会にゲストで呼んでいただいたりもしていますし。こうやっていろいろな人と交流するのはとてもいいことだと私は思っています。DCIにいくのもとてもいいこと。でもあれは半分遊びですけどね(笑)行ったからって必ずうまくなって帰ってくるとは限らないですけど、楽しんでやっているのでいいかなと思います。このようにいろいろな人たちと交流を深めていってほしいと思います。」
最後に関根氏の夢を聞いてみた。
「WGIのカラーガードの予選を日本でできないか、これが夢ですね。WGIのほうも日本にこういうのを持ってこようという意思はあるみたいですけどね。今年ヨーロッパにプライド・オブ・シンシナティが宣伝に行ったように日本でもこういうことができないかと・・今交渉しています。」
関根氏に一通りインタビューした後はWGIの練習を見させていただいてランスルー後に記念写真を撮って終了となった。マーチングは単に技術を向上させるためだけのものではない、人間的にも成長するためのものであるということを今回の愛町バンドの取材を通じて痛感し、名古屋の地を後にした。