• Individual
  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

大窪 研二/Kenji Okubo

Drum Corps Fun vol.5(2010年4月30日発行)に掲載

インストラクター/鼓和-core-サブリーダー

大窪 研二

マーチングや楽器、音楽との出会い、これまでの経験

僕が音楽、特に打楽器をやり始めるようになったのは小学校の鼓笛隊がきっかけでした。鼓笛隊といっても、秋の学校内の運動会だけのためにある行事のようなもので、ブラスが編成に入っているわけでもなく、リコーダーやピアニカ、それに加えて打楽器のパートがあるといったようなものでした。

6年生になると、打楽器を担当するメンバーが選ばれると言うもので、特に興味があったわけでもない楽器でしたが、「かっこつけたくはないけども、かっこ悪くもないものがいいなぁ」と、ありがちな子供目線で打楽器を選んでいました。

そうして唐突な理由で選んだ小太鼓(スネア)が今のように、自分になくてはならない物になると気付くのは随分あとになります。

鼓笛隊の本番などはなんとなく終わり、またやりたいとか楽器が気に入ったという気持ちも持ち合わせず中学に入学したのですが、ここで「中学では部活動を選ばなければならない」という、帰宅部のひとはほとんどいない環境、そして同じ中学で吹奏楽部を経験した(しかも打楽器です)僕の父親の果てしない勧めの結果、マーチングと吹奏楽の両方を目的として活動していたブラスバンド部にしぶしぶ入部することになりました。

ここでマーチングに出会いましたが、何事にも特に熱意を抱くことなく、習い事をしたこともなかった自分はこの時点では活動を本当に楽しんでいるわけではなかったです。このころに、もっと真剣に頑張っておいたら…なんて思うことも時々あります。

ただ部活動は中退することなく最後まで続けられました。その理由は当時の先輩たちがとても親切で面倒見がよかったこと、信頼して一緒にしていることをきっちりやりきろうと思わせてくれたからです。また、人から何かを教えてもらえることが僕にはとても新鮮でした。初めは嫌がっていた感じがありましたが、少しずつやる気が出てきていました。

マーチングに楽しさを見つけたわけではなく、先輩達に親切にしてもらった嬉しさ。この衝動だけで、僕は中学1年の終わりのころにどこの高校に進学するかも既に決めていました。「この楽しい時間を過ごした先輩たちが進学する高校でもう一度一緒に部活をやりたい」と考えていたのです。
僕の出身の徳島県でマーチングをしていた高校は2校だけ。そのひとつの高校に部活のほとんどの先輩が音楽を続けるために進学していったのが、僕が高校に進学してもマーチングや打楽器を続けることになった理由です。

それから高校に入学してからは、練習、練習、本番、朝から夜中前まで練習と、部活動の毎日でした。勉強そっちのけで(これはいけません!)部活動のことばかり考えていた時期で、学年が上がるとマーチングを教えたり、練習や構成を考えるグループに選ばれていて、この頃には厳しい部の伝統や顧問の先生に支えていただき、音楽のこと以外にも人との関わり合い、集団行動や部をまとめることの難しさ、とにかく多くのことを学ぶことができたと思います。高校でガッツリと打楽器やマーチングの魅力に満たされた僕は、「DCI」の存在を部室のビデオで発見してしまい、高校卒業後には出身チームとなったドラムコー「PIONEER」のオーディションを受けに行っていました。ここで、「もう自分にはこれをやる以外には何もない」と、今まで自分がしてきたことが確かなものであり、そしてこれからも自分にはこれが必要であるとやっと気付いたのでした。
無事にチームにも入ることができ、アメリカでは初めて打楽器を専門的に教えてもらえるようにもなりました。朝から晩まで練習でき、その練習に常にセクション別でインストラクターが付いてくれているというDCIの環境には、本当に感激したのを今でも覚えています。言葉が理解できない、思っていることを話すことが難しいなど苦しむこともありましたが、国や言葉が違っても行動で自分を示せることは変わらないということも解りましたし、周りにも認めてもらうことができ、毎日の生活を通してメンバー達と本当に仲良くなることができました。それからも練習、練習、本番、また練習(またか!)と、ひたすら叩きつづけることにハマッていた自分にも、遂に「エイジアウト」という年齢制限で引退しないといけないという時期がやってきました。

音楽をずっと続けたいとは思っていましたが、エイジアウトしてからのことは全くといっていいほど考えてなかったので、どうしようかと悩んでいたのですが、ここで「PIONEER」で指導をしてくれていた当時のインストラクターから「次のシーズン、インストラクターを一緒にしてみないか。」という誘いがきっかけとなり、違う形で自分のチームにまた関われることになったのです。同じ時期にDCIを経験した日本の友人からも一般のマーチングバンドの指導のお手伝いを誘っていただけたりして、偶然ではありますがこれらのきっかけが現在に密接に繋がっています。

「今まで学んできたことを自分の手元だけに留めることなく、これから頑張ろうとしている人、いま努力を重ねている人たちに伝えることができるなら、これほど自分にとっても嬉しいことはない。」と、インストラクターとしてこれから自分ができることをやっていこうと目標を立てることができました。

こうしていろいろな人にお世話になりながら、今でもアメリカと日本の両方でインストラクターを続けることができています。まだまだ未熟でわからないことがありますが、これからも努力を続けてより良いインストラクターを目指して頑張っていきたいと思います。

形に囚われない柔軟性を大事にしています。

現在の活動について

前にあげたインストラクターの活動もありますが、自分が現役として演奏を続けることも目標として持っています。

同い年で一緒に「PIONEER」のドラムラインで活動を共にした友人(夏井洋平ら)と「鼓和-core-」というマーチングパーカッションを用いたパフォーマンスグループを結成し、ステージでの演奏をメインに仲間と一緒に活動中です。本番によって僕たちの編成は様々で、「こだわるものにはとことんこだわり、新しいものや良いものもどんどん取り入れる」形に囚われない柔軟性を大事にしています。知識と経験を蓄えた仲間と常にアイデアを出し合い、更にこれまで関わることのなかったジャンルのアーティスト(ギター類や電子楽器、民族楽器、タップダンス、DJ、とにかく色々です)の方とのコラボレーションをして頂いたりと全てが新鮮です。この2月には初の自主制作コンサートを行い、今後もより一層活動を拡大していけることを目指しています。

鼓和以外でも個人で演奏依頼を頂けたり、最近では「blast!」の石川直さんの企画によるコンサート「石川直solo project」のキャストとしての出演など、昔の自分からすれば想像もできないくらいの機会を頂いています。多くの世界規模の経歴を持ち、日本屈指のプレイヤーである石川直さんのすぐ隣で演奏ができたことは、本当に嬉しいのと同時に光栄であり、他にはない貴重な経験でした。

音楽の一番の魅力だと思いますが、まずは演奏を見て聴いて楽しんでもらうこと、また自分が演奏をすることで楽しみを感じることを大切にしながら、まだまだマーチングやバッテリー楽器を知らない人や、多くのひとに存在を知っていただけることを目指しています。

これからについて

マーチングや打楽器、そして今までしてきた活動は、今ある自分の全てに影響しています。多くの人に出会い多くの人に助けられ、決して一人だけの力や努力だけで進んでこれたものではありません。自分の親、学生時代から現在までに出会った方々、挙げればきりがないくらいですが、お世話になったことや思い出はいつまでも忘れずにいたいです。

ひとつのことをやりきること、仲間や周りの人たちを思いやり大切にすること。夢や目標を持ち、それに向けて進むこと。そして好きになったことを全力で取り組み心から楽しむこと。

ただ音楽やマーチングという芸術、それ自体を楽しむというだけではなく、それに関わる人としての在り方や人格形成、多くのことに繋がっているということを自分が学んできたように周りの人たちにも伝えて行きたいと思っています。そして伝えていくことによって、自分が大事に考えていることを再確認でき、自身も共に成長していけることを大切にしたいです。

最後になりますが、これからDCIに挑戦したり音楽やマーチングで色々な方面に頑張ろうとしている方々。大事なのはとにかく続けることだと思います。十数年続けてみてもまだまだ学ぶことがあり、見つけられることがあります。努力や学ぶことに終わりはないものでしょうし、
そしてそれを続けることが出来た分だけ自分に返ってくるもの、実るものがあると僕は考えています。毎日の生活の中で大変なこと、くじけそうなこともあると思いますが、どうかあきらめずに頑張ってほしいです。どんなときでも、僕のそばにはスティックがありました。そしてそれはこれからも絶対に変わりません。今自分がやりたいことを続け、まだ自分が知らないことに挑戦し、演奏でもインストラクションでも周りの人達に良い影響を与えていきたいです。

やっぱり、好きなことはいつまで経っても辞められないですよね!

関連記事一覧