【Special Interview】石川 直氏×ヒダノ 修一氏

Drum Corps Fun vol.2(2007年4月11日発行)に掲載

ルーディメンタル・スネアドラマー/パーカッショニスト/パフォーマー/クリエイター/作・編曲家/指導者

石川 直 氏

太鼓ドラマー

ヒダノ 修一 氏

太鼓ドラマーのヒダノ修一さんとブラストでもおなじみの石川直さんにマーチングの魅力、今後のマーチングのあり方、指導者にあるべき姿などについて語っていただきました。

~日本とアメリカ、マーチング組織について~

ヒダノ アメリカのマーチング業界は組織としてとてもしっかりとしているというイメージがありますが、どのような仕組みになっているんですか?

石川 日本は一般から幼稚園までがすべてひとつの組織にまとまっています、吹奏楽連盟とマーチング協会と分かれてはいますが。それに対してアメリカはDCIというものもあればBOAというものもあります。日本でいえば一般がDCIで高校がBOAといった感じです。それぞれの組織で共通に関わっている人もいますが、組織として目指すものもまったく違います。僕は高校と大学時代をアメリカで過ごしたのですが、アメリカは教育の理念も日本とはだいぶ違います。音楽を取り入れる環境もよく、例えば小学生からトランペットを吹ける環境が整っていたりします。また日本の高校にほとんど野球部があるように、アメリカの高校にはほとんどマーチングバンドがありますので、マーチングバンドを知らないアメリカ人はほとんどいません。アメリカの高校はクラブ活動としてのマーチングというよりも音楽の授業の中にマーチングや吹奏楽があって、活動としては前期にマーチング、後期に吹奏楽といった感じになっていて単位も修得できます。

~指導者について~

ヒダノ 私は中学のときに吹奏楽部だったんですが、3年やって「…自分にとってこの3年間はなんだったんだろう」って思ったんです。その原因は指導者なのか部活のシステムなのかは分かりませんが、やはり指導者ってとても重要ですよね?

石川 そうですね、その辺はとても重要だと思います。もちろんその部活のシステムの中で指導者がどう動くのかで、その先につながるもの(結果)は変わってくると思います。一年間で音楽をまったく知らない生徒がどれだけ学べるかというのは、普通に授業を受けるということよりも「1年間誰に何を教わったか」ということの方が重要だと思います。広い視野でみると、アメリカは「いい音楽性を持っている指導者」が育ちやすい環境にあります。田舎の学校に行ってもしっかりとしたマーチングバンドのディレクター(監督)がいるということも多いです。

ヒダノ 指導者を育成するシステムっていうんですかね?日本だと大体は音楽大学を出た人とか一般大学で吹奏楽をやっていた人が先生になって指導に当たるという場合が多いと思うんですが、そうじゃない場合もありますよね。たとえば「誰も顧問をやる人がいないからやってください」みたいに言われて吹奏楽部の顧問になる人、まあ数学の先生が多いんですけど(笑)。外部から指導者が入るというのはよっぽど名前が知れている吹奏楽コンクール常連校とかじゃないとないですね、吹奏楽部の数はものすごく多いのに指導者がいないというのが日本の現実ですね。

石川 ブラスバンドがあったとしてもそれはあくまでも部活動の中だから顧問も少ないし、指導者もいないということだと思うんですが、アメリカは授業の一環なので学校に専門の先生がたくさんいます。ちなみに僕が通っていた高校では音楽の先生と一言で言ってもコーラス(クワイヤー)の先生が3人、バンドのディレクター、アシスタントディレクター、ストリングス(弦楽器)というように6人の先生がついていました。さらにその先生たちをまとめる先生というのも1人いました。たまたま僕の通っていた高校は4学年で1800人の生徒がいるような大きなところでしたので、アメリカの高校の平均よりは多く先生もいて、実際このような形をとっているところはアメリカにも多くあります。音楽大学のなかの音楽教育「ミュージックエデュケーション」を専攻して卒業した人が先生になって教えに来ているということなので、日本の部活動よりももっと深く音楽を学ぶことが出来るシステムがアメリカでは確立されているのです。

~日本の音楽について~

ヒダノ 音楽に対しての気持ちっていうのがまず日本とは違いますよね。日本では音楽というのは「衣食住以下」のような感じがしています。アメリカやヨーロッパなんかでは音楽は「衣食住」と同じレベルか、もしくはその上をいっていたりしますよね、音楽というものに対してあらゆるケアが出来ているように感じます。そういう意味では日本はどうなのだろうと思うときがありますね。

石川 日本でも音楽大学で音楽を勉強して卒業する人は年々増えていますが、実際にはプロのミュージシャンとして生活できる人というのはごく限られた人ですよね。それ以外の人は卒業してから地域で教えたりするわけですね。そうするとこのように音楽を勉強した人が教えるわけですからある程度は広がってはいると思いますが、まだちゃんとしたシステムを国が作っていないというところで日本にはまだ音楽教育は広がっていないと思います。音楽というものをどれだけ教育のシステムの中に取り入れるかということが重要だと思いますが、まだ現段階ではアメリカに比べると軽視されているように思います。ゆとり教育で授業時間が減らされましたが、まず削られたのは美術や音楽などです。このように一番先にはずしてもいいという科目に音楽が入っているというのは、僕のように音楽をやっている人間としてはとてももったいないと思います。確かに色々な知識を学ばなくてはならないと思いますが、例えば複雑な数式を覚えることは専門職に就く人にとっては重要かもしれませんが、音楽という「気持ちの面で人生をゆたかにしてくれるもの」は誰に対しても必要なものだと思います。要は音楽というのは今の日本人の生活にとってとても重要なものになっているということです。携帯でもみんな音楽を聴く時代になってきていますし、携帯音楽プレーヤーが普及して「音楽を持ち歩く」ことをしています。音楽をまったく聴かない人、聴きたがらない人というのはほとんどいないと思うんですよね。音楽を求めているということは音楽を聴くことで心が癒されたり、喜びを感じたり、何かに取り組む気持ちになったりすると思うんです。この音楽を「良いもの」としてプロデュースできる人間、クリエイトできる人間は世の中を救うと感じます。

ヒダノ 私がやっている「太鼓」ということから日本の音楽を考えると、明治維新のときに日本人は日本のものをだいぶ排除してしまったんです。特に関東には伝統芸能がとても少ない、つまり中心地は一気に西洋化されてしまったということなんです。中心地から離れた東北地方や北海道などにいくと、まだまだ伝統芸能が残っています。つまり明治維新のときに首都圏から「日本人とは何たるか」というものが消えてしまったんです。そして第二次世界大戦で日本は戦争に負けて、その後日本を復興させていかなければならないということから「まずは経済」ということで日本は高度経済成長を遂げたわけです。その当時企業戦士として働いていた団塊の世代の方々が、現在音楽教室に通って盛り上がっているという現実があります。この世代の方にとっては、やっと時間ができたということなんでしょう、当時は「日本を世界に」ということでとにかく忙しかったでしょうから。私は色々な国へ行って日本語で音楽をやっていますが、私の日本語の音楽を聴いて「日本にはソニーと寿司だけじゃなくて、太鼓もあったんだね」と言われたこともあります。日本のアーティストが海外で本当に評価されているのか、というのは正直自分には分からないんですよね。それには日本人がもっと海外にとけこむべきと思うんです。日本人の島国根性みたいなものもあるのかもしれませんが、これからはもっと積極的に文化の国際交流ができるようになると日本の音楽はもっともっと変わってくるんじゃないかと思います。現在では全てのジャンルでレベルは高いですが残念なことに意識が低いと感じることがあります。今後の日本を背負っていく世代の人たちのために私達の世代がもっと意識を高めていくべきだと思います。またブラストのように色々な要素が入っているものが日本人は大好きだと思うので(笑)日本からブラストのような「職人集団」がもっと出ていくべきだと思います。二番煎じじゃだめですけど(笑)

~日本のマーチングの発展について~

石川 日本人は何かを見てそれを自分の中に取り入れるということが非常に上手い人種であると思うんですが、それの第一段階としてはコピーがあると思うんです。例えばDCIのショーを見てそれに影響されて何かを作ったり、場合によっては完全にコピーしてやったりすることもあるでしょう。これをやることで生徒達が面白いと感じ、魅力を感じる。そこから自分達の音楽がはじまっていくというきっかけになるならいいと思うんですが、コピーだけで終わってしまっていたらそれは第一段階で終わってしまっていると思います。重要なことはコピーしたことで何を感じ、何を得たのかということです。これに影響されて「次は自分なりにアレンジを加えてみよう」となったら確実に先につながっていけると思います。コピーすることは悪いことじゃないですが、そこから先につなげていくというのがとても重要だと思います。

ヒダノ そういう意味では「いいもの」を提供しないといけないですよね。何をコピーするのかということにもなると思うので。

石川 もともとアメリカではじまったマーチングというのが、ただ皆が動きながら楽器を吹いてドラム叩いて旗回して・・・というあまり深い意味のないものからはじまっているのですが、重要なことはどういう意味合いをこめて作品を作っていくのかということです。例えばショーで使う曲(原曲)に対してどのような世界観があってどういう意味合いがあって、それを動きと音楽でどう表現するか。ヴィジュアルがあり聞こえてくるものがあって、そのバランスでどう表現をしていくのかということが重要です。日本の高校生のレベルは僕が高校生だったときよりも全然上がっていて、正直ここまで出来るのか・・すごいと全国大会を見て思いました。さらにレベルが上がっていくと思います。ただ日本に限らずマーチングの世界において怖いことがあって、指導者側が一歩間違うと「コントロールの世界」に入ってしまうというか、支配の世界に入ってしまうということなんです。指導者の方がデザインしたショーであったり曲であったり、自分が指揮を執って100人以上の高校生を意のままに動かしているということに喜びを感じるということがあるんですが、今の教育においてはそのようなことはあってはならないと思います。やっているメンバー一人一人が良い判断で活動ができるような人間を育てていくようにならなければいけないと思います。これが中学、高校のマーチングの教育において大切なことであると思っています。マーチングというのはもともと青少年の育成が目的なので、中学校、高校の数年間の経験の中でどういうものを学ぶことができるか、そして卒業してから何をみるのかというのが大事であり、そういう人間を育成していくためにはマーチングは指導者が支配してしまう、あるいは支配的になってしまうことはあってはならないと思います。
マーチングは揃える美しさは必要ですが、ぴったり揃うから美しいのではなくて個性をもったたくさんの人間が同じことをするということに美しさがあると思うので、全員の色を同じカラーに揃えるということではなくて、違った色をもった人間たちをどう揃えたら美しく見えるかということが大切であると思います。

ヒダノ 指導者が満足しちゃいけないってことですね。いい音楽であるということと、その先にはオーディエンスがいるってことです。忘れちゃいけないですね。

石川 マーチングのいいところは「一人一人が自分でよい判断、活動ができる人間を育てていけるところ」だと思います。とくに中学、高校生にとっては社会に出る前の小さな社会というものを体験できる、社会性と協調性を学べるすばらしいものであると思っています。

ヒダノ やはりいい人間を育てることでしょうね。昔ドラマーの村上ポンタ秀一さんが「いいドラマーといいベーシストがいれば合うんだよ」って言ったんです。合わせようなんて誰も思ってなくても合ってしまうというんです。これは名言だなと思うんですが、このような次元で生まれた音楽はこの世のものとは思えない絶妙なアンサンブルになるんですよね。心と心のアンサンブルができるような青少年を育成できたらいい社会になると思うし、いいマーチングができることは間違いないと思います。

石川 日本においてはまずいい指導者を育てることが重要だといわれていますが、それにはまず感性豊かな人間を育てなければなりません。そのために今後日本人の感性を表現して育てていく場として「鼓喇舞」(こらぶ)というプロジェクトを立ち上げることになりました。ブラストのような一流のプレーヤーになるための第一歩としての経験を積む場としてこれからスタートしていきます。

~指導者のあるべき姿について~

ヒダノ マーチングの指導者はあくまでも指導者ですよね、指導者だけで生活できる環境が日本にはないですよね。また日本では、プレーヤーができなくなってから指導にまわるという風潮があります。以前PAS※でソロパフォーマンスをしたときに、パフォーマンスをしながらレクチャーもしなくてはいけないということで苦労しました。アメリカでは「いい指導者=いいプレーヤー」でなければならない、といわれています。PASでは、世界的なパフォーマーが最高のパフォーマンスをしながら、自分自身の言葉でしっかりと明確な説明をするんです。これは日本にはまずないですね。特に日本の太鼓の世界では、全くといっていい程、このようなスタイルが浸透していないので、今後はこのような人間をキチンと育てていく必要性を痛感しました。

石川 情報だけを与えてくれる指導者も必要ですが、見本や手本を見せるから理解されるというのもあると思います。たとえば「イチローがいるから野球したい」というように…。指導とプレーヤーはできれば両立すべきだと思います。日本においては最近DCIに行っている人が多くなってきてはいるものの、帰ってきてからプレーヤーとしては生活できないので指導だけをしているという人が多くなってきていますよね。大切なのは
①パフォーマンス能力
②指導力
③クリエイトできる力
だと思います。今の日本人は主に②と③になっていますね。①のパフォーマンス能力が指導者にあるともっと伸びていくと思うんです。このパフォーマンスを失わせないために先ほど説明した鼓喇舞があって、マーチングのレベルをもっと上げていくためにはパフォーマンス能力と指導力の両立がとても大切になってくるのです。

ヒダノ 太鼓の世界では「昔~やっていた」という方がたくさんいます。じゃあ今は何をやっているの?みたいな(笑)これではきついですよね。今の年齢でできることが10年後、20年後にできるのかといわれたらそれは分かりません。しかし力まず10年後、20年後に「この人全然衰えない」と言われたいです。年齢的なものも確かにありますが、体力+プライドという生き方を今の青少年に見せないといけないと思いますし、このジャンルでちゃんと生活できるんだと思われなければいけないと思います。またいろいろなところで指導していると、聞き上手な生徒って沢山いるんです。先生の言ったことをそのまま受け入れるのではなく、もっと指導者とのコミュニケーションが必要ではないかと思います。生徒は遠慮せずに指導者に対して深い所を追求することで、指導者もより本気になり普段あまり口にしないようなコツを教えてくれるかもしれないですね。

石川 気づいたことをシェア(共有)してあげること、人間として中学生や高校生に限らず同じことに気づいてあげること、そのことにふれてあげることが大切です。そういう生徒と触れ合うことで自分自身も成長できると思います。自分がやってきたからこそ分かるという部分も大きいと思いますし、この流れは必然ではないでしょうか。またマーチングは「大人数で1つのものを目指す」ことで、人生の中でとても貴重な体験です。その体験ができるすばらしさと、音楽性、芸術性、身体能力をまんべんなく伸ばすことができる活動であるということが魅力です。

~ドラムの魅力ついて~

ヒダノ ドラムってメロディー楽器と違って一発じゃないですか。その一発の中で何を伝えるのか、それに生き方がすべて出ると思うんです。私はドラムセットから太鼓に転向しましたが、太鼓を通じていろいろなものを学びました。いうなれば太鼓に育ててもらったと思っています。こんなすばらしい楽器はないと思います。打楽器に出会って経験した人には、何らかの形で続けていってもらいたいと思います。また個人的にはアフリカのザンビアの子供たちを支援する活動をしていますが、貧困の中でザンビアの子供たちが楽しく太鼓を叩けるような支援をしてあげたいと思いますし、このザンビアの子供たちのことをたくさんの人に少しずつでも伝えていきたいと思っています。

石川 叩き方がシンプルなゆえに、基本的なことをたくさん気づかせてくれました。この楽器はたくさんのものにチャレンジできる素晴らしいものです。リズム感も人間とのコミュニケーションの中でのことなど、いろいろなものに気づくことができるのがドラムという楽器です。リズムなので何にでも合わせることができますし、幅広くできるのが武器ですね。やっていて楽しいですし!

~最後に~

ヒダノ 三本締めとかでも分かりますが、あの独特の”間のリズム”というのは世界中を見回しても日本人しか持ち合わせていないんです。もっともっと自信を持って、”日本人”という素晴らしい文化を外に紹介してもらいたいですね。アメリカ発祥のマーチングも、沢山の愛好家に太鼓とのジョイントをお薦めしたいです。皆さんがバチに持ち替えて演奏するのではなく、専門家との共演を是非!

石川 限界はないんです。感性を押さえつけるような指導はしないでほしいと思いますし、生徒の秘めたる感性を見つける能力が指導者においても大切なことだと思います。

長時間にわたりさまざまな角度からマーチングについて、音楽について、指導者についてなどお二人の本音が聞けたのではないかと思います。お二人が思っているように日本のマーチングがもっと発展していい指導者、いいパフォーマーが生まれることを願ってやみません。

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