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  • マーチング・ドラムコーの世界で活躍するトップランナーを紹介

有田 梨沙/Risa Arita

Drum Corps Fun vol.3(2008年3月25日発行)に掲載

インストラクター/ドリルデザイナー

有田 梨沙

気づけば土日は練習場に家族勢ぞろいでマーチング…練習を通して上達していく過程を身を持って感じることができました。

私が初めてマーチングに出会ったのは小学校3年生の時で、1年間スネアを担当しました。
来年も頑張って行こうと意気込んでた中、予期せぬ転校…。それからの2年はバスケ部に入って、音楽とは離れた日々の生活を送っていました。でも、やっぱり音楽がやりたくなり6年の時音楽部へ入部しました。そこでは、アルトホルンを担当。
本格的にマーチングを始めたのは中学校からで、沖縄で伝統校である嘉数中学校へ、本当はトランペットをやりたかったのですが、先輩に誘われ断れずフレンチホルンを担当することになりました。それからは休みもなくマーチング三昧、毎週、毎週、無理を言って両親に頼んでビデオを撮ってもらい、結果、両親も含めマーチングの虜になっていました。気がつけば土日は練習場に家族勢ぞろいでマーチング…。
ここで私は、初めて憧れを持てる楽器に出会いました。
それは、メロフォンであり、私がマーチングを続けていくきっかけを作った出会いでもありました。音に魅力を感じたのもそうですが、何よりメロフォンを演奏している先輩がとてもかっこよくて私もやりたい!!そんな憧れをもちながら、中学校3年へ。私は初めてメロフォンを手にしました。そこでショーの中でソロもいただけのですが、これが笑っちゃうほどへたくそで。
父が、そんな私を見てどうにかしなければ…と思ったのか、普段の練習後、私を海へ連れて行き、ここでまさに巨人の星の様な特訓が…。「海に向かって吹き、その返ってくる音を聞いて自分の音を研究しなさい」と。
夏休み中、海での夜練習が続き、納得いくまで3、4時間吹き続ける日々。
もう何百回吹いたかわからないですが、そこで私は、精神的にも技術的にも、練習を通して上達していく過程を身を持って感じることができました。またそれは自信という大きな財産になり、とても成長することができました。
本当に父に感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな熱心な両親のサポートもあり、三年間過ごすことができました。私は、高校でマーチングを続ける気はあまりなかったのですが、あんなに練習したソロを最後の全国大会でまさかの失敗。(笑)
悔しくて悔しくてこれでは終われないと、ここでやめたら後悔すると思い西原高校へ入学。

人間、努力すればきっと認めてもらえる。

ここで恩師である大城先生との出会い。
メロフォンを担当したくて入学したのですが、はじめは歯並びが悪いという理由でメロフォンには入れてもらえず、手には木管のマウスピースが…。納得がいかない私は、先生のもとへ行きお願いしたところ、まぁメロフォンには向いてないかもしれないけど、頑張ってみなさいと。人間、努力すればきっと認めてもらえる。そんな希望を抱きながら、私の高校生活がはじまりました。西原高校でのマーチングは衝撃的で、よりレベルの高いものを求められる事ばかり。楽器を持って演奏する!簡単に聞こえるものですが、揃って当たり前の中で、それをどこまで極めていけるか。毎日自分のとの戦いでした。4拍を合わせるのに一時間、そこまでやるのかと何度も思いましたよ。でも、100人以上の人が一つの目標へ向かって進んでいくという難しさを実感した時でもありました。

1年の時は無事全国大会に出場しましたが、2年の時、惜しくも県大会で切符を取れず、最後のリベンジの年とにかくやれることをすべてやってみようと、MMと筋トレを、毎日欠かすことなくやりました(もちろんマラソンも毎日3キロ)正直、辛いことばかりでしたがそれは目標のためには欠かすことのできない努力の一つでもありました。また、私自身の目標でもあった少しでもメロフォンを認めてもらいたかったという事。最後の年にはソロも頂くことができ、正直認めていただいたかどうかはわかりませんが、よくやった!と言われた時は、泣きましたね~。そんな、個人個人の努力の甲斐が実ったのか、見事全国大会への切符を手に入れた私たちは二年ぶりの武道館へ。

終わった瞬間満足で涙が止まりませんでした。

武道館のフロアに立ち納得のいく最高のショーがしたい…結果なんて二の次でした。ここで緊張などに負けていたらこの一年間を無駄にすることになる、現に中学校最後の年に緊張という壁に負けてしまっていた私は今まで経験したマーチング6年間をすべて出し切る思いでフロアに立ちました。武道館には初めて立ったわけではなかったのですが、あんなに歓声が降ってくる武道館を体験したのは初めてで、そこには一生忘れることのできない最高のショーが待っていました。失敗はありましたが、ソロも無事成功し、心から楽しめた内容であったため終わった瞬間達成感で涙が止まりませんでした。また、グランプリというご褒美まで頂くことができ、一人では決してできない、人と人が繋がって作り上げられるマーチングに出会えたことに、幸せだと心から感じました。

何か新しい事を、常にチャレンジし続けられるショー作りがしたい…

沖縄にはその頃一般団体とかはなく、高校を卒業してからマーチングを続けていくにはスタッフといった指導の道しかありませんでした。ここでも人の繋がりで私は、母校の嘉数中学校へスタッフとして関わることになりました。そこで4年間スタッフをさせてもらいましたが、はじめは、うまく子供達に物事を伝えることができずに、失敗ばかりで周りに助けてもらうことばかり。沖縄は小さい島です。やはり情報が多くはありません。自分を変えたいっていうのが一番の理由ですが、何か新しい事を、常にチャレンジし続けられるショー作りがしたい…何か刺激がほしいと…思うようになり私がたどり着いた決断は、21歳最後の年でしたがDCIへの挑戦でした。もっともっと子供達にもマーチングの楽しさを知ってもらいたい、それを伝えていくには、自分自身がもっと経験を積まなければいけないと思い、CADETSのオーディションへ。英語はほとんど話せませんでしたが、何度目かのCANPで奇跡的にメンバーに入ることができました。アメリカでの生活は、恥ずかしい話ですが、よく泣きましたね…。
正直、辛かったです。また、ブランクが3年もあったせいか、転倒し両足の股関節の筋を伸ばしてしまいケガまでしょい込む始末で。両足テーピングでミイラ状態でした。でも、何日かは松葉杖だったため正面からの見学の日があり、アメリカの指導というものを、この目に焼き付ける事ができました。私が今まで行ってきた指導とは正反対のもので簡単に言うと、まず褒める!!よくやった!でも、こうしたらもっと良くなる!といった、褒めて伸ばすスタイル。かなり、いい経験をさせていただきました。これも、怪我をしなければ、感じられなかったこと…けがにも感謝でしたね!
帰国後、アメリカでの経験を生かし、沖縄では最後の一年になりましたが、スタッフとして最後まで子供達とマーチングを楽しむことができました。

今はドリルを書く事が楽しくて仕方ありません。

私は、今、ドリルデザイナーとして関わらせていただいていますが、始めたころは女性のドリルデザイナーとしてコンプレックスをもっていました。どの業界でもなぜか、ものづくりで成功している方々は男性ばかりで、ドリルデザイナー=男性、といった、固定概念が私の中でありました。そんな不安を抱きながら挑戦し続けたデザイン。6年目にしてたどりついたのは、個性でした。ドリルデザインというのは、曲の表情や色を絵(図)にしただけのものだと思っています。やはり、人によって音楽の感じ方とらえ方が違うように、同じ曲でも100人いれば、100通りのドリルができてしまう。ドリルだけではないと思いますが、男性、女性関係なくその人の個性をそれぞれの手段で表していけばいいのではないかと思うようになりました。そう感じられるようになってからは、決して楽なものではありませんが、今はドリルを書く事が楽しくて仕方ありません。私らしいドリルだねと言われることが嬉しいと思います。見ている方々に少しでも自分のカラーが伝えられるようになった事に喜びを感じています。また、面白いことに同じドリルでも譜面のように、プレイヤーが変われば色がかわりますよね。自分が書いたドリルがどのように子供達によって変化していくのか、これも毎年楽しみの一つになっています。日々、勉強の毎日ですが、そんな私の今の目標は…ディズニーのように、目で見る音楽!そんなドリルを書けるようになりたいと思っています。

マーチングという音楽で学ぶことはとても価値のある事だと感じます。

中学生や高校生の時期は、社会にでて一番必要なことを学ぶ大事な時期。マーチングというものは一人で作り上げるのは、はなかなか難しい、団体という集団の中で一人一人が目標を持ちそれに向かって同じ時間を過ごしていく事。この時期にそれを経験できるといことは、すごく幸せな事なのです。これから将来社会に出ていく上で必要となる、忍耐力や、協調性。また、集団の一員として求められる責任感など、さまざまな事をマーチングという音楽の一つで学ぶことはとても価値のある事だと感じます。
また、好きなことを持てるということ。別にマーチングを特別好きになってほしいとは私は思いません。
ただ単に音楽が好き、体を動かすのが好き、楽器が好き、踊ることが好き、それぞれ違うものですが、マーチングではすべてそれを生かしていくことができる。自分自身何か夢中になってやりたいことを探すきっかけになってくれればいいなと願っています。社会にでてからは、今だにやりたい事もなくふらふらしている人をたくさん見ますが、何か、夢中になれることを持てるということが、こんなに幸せな事なんだととても感じます。
私は、マーチングを始めてから、もう辞めようかと思ったことは数え切れないほどありますが、なんだかんだいってやっぱり好きです。
今、マーチングをしている子供達にはマーチングを通して学んだこと、経験したことを生かして、一人の人間として大きく成長していくステップにしていってほしいなと思います。

今まで、私がマーチングを楽しんでこれたのも、恩師をはじめ中学、高校で出会った友人やスタッフ時代の先生、仲間、そして家族のおかげです。
特に、両親には、感謝の二文字だけでは足りないほど、支えてもらいました。本当にありがとうと伝えたいです。こんなにたくさんの経験を無駄にしないためにも、とことんマーチングと向き合っていこうと思っています。
また、ドリルデザイナーとしても、可能な限り新しい事にチャレンジしていきたいです。
謙虚な気持ちと、向上心を忘れずに、これから動いてくれるプレイヤーや見てくださっている方にもマーチングを楽しんでいただけるよう、精一杯努力していきたいと思います。

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